B196 食前酒

1990年11月19日(月)

朝は、水泳と12分間走のテストがあった。そして第4外人連隊の連隊長への訓練開始の申告をした。

中隊と訓練小隊の歌が上手く歌えず何度も営庭を走らされた。号令の掛け方も始まった。伍長ともなれば、これからは自分も部下の兵士たちへ号令をかけないといけないからだ。

午後は座学だったけれど、話を聞いてそれをノートに取らないといけないので全くわからなかった。——まだ同じ連隊同士でグループになっていて仲間意識はない。お互いをよく知らないからだった。夜も何かしらしなくてはならず、あっという間に消灯時間になってしまう。明日の夜、いよいよ最初の野外訓練に出発する。それがきっと始まりなのだろう・・・。

 

1990年11月20日(火)

今朝はロープ登りのテストがあった。それから8キロほどの駆け足をした。ほぼ1日中机に向かって色々と習った。夜は最初の野外訓練所へ出発する。それも歩きだ。出発が23時近かった。持っていく装備品のリストがなかなか発表にならなかったからだ。背嚢はいつもより重く、距離は40キロぐらいと言うことだった。単純に考えても宿営地の訓練所に着くのは明日の朝だ。だからと言って着いたら休みということなどある筈も無く、着いたら着いたで朝から夜まで訓練がある・・・。

夜間の上に雨が降り出し最悪に近い行軍だったけれど、1時間半ごとに休憩があり、何とかなりそうではあった。==11月21日(水)

次第に歩きながら眠ってしまう様になってしまった。背嚢は重く肩が痛かった。おまけにひどく空腹であった。他の連中も寝ぼけて左右に揺れながら歩いている。

朝9時過ぎ、やっと宿営地の訓練所に着いた。以前に下士官候補生の訓練を手伝った訓練所であった。それからは夜の10時過ぎまで武器手入れだった。FA -MASを分解して手入れを始める。驚いた事に点検は無く23時には寝ることが出来た。今週は多分寝る暇は無いだろう。しかし遊びに来ているわけではない。伍長の階級章をつけるために来ているのだ。少し気合が入る。2ヶ月間の辛抱だ・・・。

 

1990年11月21日(木)

今日はほぼ1日中分隊長の役割を勉強した。しかし分隊          の兵士に命令を出さなければならないのだけれど、使い慣れない言い回しが多くて苦労した。夕方実際に隊形を組んでやってみた。そのあとは、パルクール・ド・コンバッタンのテストがあった。連日の寝不足などであまりいいタイムでは無かった。

Apéritif(アペリティフ=食前酒)を全員義務付けられていて毎日昼食、夕食前にやる事となっていた。と言っても、伍長訓練生に酒など出る訳が無い。5回の懸垂、20回の腕立て伏せ、6mのロープ登りが僕らのアペリティフであった。ロープの後の懸垂はかなりキツい。腕立て伏せもだ。しかし2ヶ月後の事を考えるとこんな事ぐらいでへこたれてはいられない。

夜は23時からオリエンテーリングがあり、目標物を見つけられなければ次の日までかかる。だからレイ曹長の指示でレーション(携帯食料)が配られた。僕はリエナーと一緒だった。4人1組になりそのうち最初の2人が目標の場所へレーションを置き残りの2人がそのレーションを回収するのだ。僕ら4人組のうちレーションを目的地に置きに行った2人が道に迷い、僕とリエナーが出発したのは夜中の3時であった。それまでは眠る事さえ出来ず、全て終わったのは朝の5時であった。ここでの起床は5時45分で、今日は眠る事は出来なかった・・・。

 

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