B193 管理中隊配属

1990年9月29日(土)

ほとんど何もなし。明日の記念日の前夜祭ということで、バーベキューパーティーを夜にやった。食事が一段落すると、どこからともなく隊歌が聞こえて来た。解散まで何十曲も歌い、ワインやステーキで久々に楽しかった。

 

1990年9月30日(日)

午前中は、外人部隊の司令官の将軍の前を行進。式典が終わり、連隊が集まって司令官と昼食。司令官が去り際に「もうすぐクェートで!」と言ったのに気が付くまでちょっとの間があったけれど、「ウォー!」と連隊中歓声が上がった。「湾岸戦争に参加出来る!」みんなそう思ったに違いない!

 

1990年10月1日(月)

食堂に行き雑用の仕事を引き継いだ。食堂の連中は僕に気を遣って親切にしてくれた。しかし食堂を雑巾掛けしている時は何ともやるせなかった・・・。

 

1990年10月2日(火)

午後いっぱいかけて管理中隊の中隊長などの所を回った。今日から管理中隊配属になるからだった。管理中隊の中隊長から「今までは役に立たない連中がこの仕事をしてきた。しかしそれではいつまで立っても食堂がきれいにならない。だから連隊長が怒って « ちゃんとした兵士を仕事につかせろ! »と命令が下り君が中隊から選ばれてきたのだ!」と僕の個人ファイルを見ながら説明してくれた。「期待している!」と言われ、とんでもない所に来てしまったと思った・・・。

 

1990年10月3日(水)

一日中掃除。けれど、休む暇が無い訳ではなく安心した。そのヒマな時間を利用して腕立て伏せをする様になった。誰も見ていないし監視されている訳では無い。ある程度ホウキをかけては10回腕立てをする。雑巾掛けが半分終わったらまた10回腕立て伏せ。その様にして1日100回以上やった。まだ始めたばかりなので飽きてしまわない様に少しずつだ。

 

1990年10月4日(木)

夕食はレーションだったので大した仕事は無し。小隊に遊びに行ったら皆元気そうだった。早く小隊に戻りたい・・・。

 

1990年10月5日(金)

いつも通りに雑用をこなす。日がな一日中ホウキと雑巾掛けの仕事で流石に飽きる。週末で48時間の外出ができたのでパリまで行く事にした。

 

1990年10月8日(月)

夕方に、明日から演習へ出発する人員の名簿が出た。僕もその名簿に入っていた。しかもトラックの運転手でだ。運転手もしなくてはならない。いきなりだった。他に運転免許証を持っている奴がいない。困った事だ・・・。

 

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