B 275 訓練について

再び訓練所なのだ。7月末に、中隊長の交代式がここの訓練場を使って行われるtいうことが小隊長のアンドレス曹長から言い渡され、それと共に訓練内容が、民間から来たばかりの新兵達をフランス外人部隊へ馴染ませる訓練から、広大なこの訓練場の敷地の「ゴミ拾いと草刈り」に変更になった。これは僕ら下士官である軍曹連中も同じで、各自セクターを割り当てられて、そこの部分のゴミ拾いと草刈りが任務となった・・・。

中隊長のデゥ・ラ・ジュディー大尉は、親父さんがフランス軍の現役の将軍で、そのことを鼻にかけたところがあった。ランド・ナヴィゲーションが最悪なのはみんな知っていたし、あまりこの大尉が僕は好きではなかった・・・。後任は、第2外人落下傘連隊で中尉の時小隊長を勤めた事があるダラス大尉だった。なので、第2外人落下傘連隊から来ているチムラン軍曹とは顔見知りであった。交代式までの何日かは、デゥ・ラ・ジュディー大尉がここの訓練所に泊まるという事で、食事の時が大変であった。とにかく時間がかかる。食前酒から始まり、食後のコーヒーまで、僕ら新兵訓練軍曹たちは早くその場を立ち去りたくて、そんな時はアンドレス曹長が気を利かせて、「次の授業は誰のなんの授業だったか??」と話を僕ら軍曹連中にふってくれたので、容易に食堂から出る事ができた。

授業の内容は、4、5人の外国人に対して一人のフランス人という割合で、外国人が多かった。誰かがヘマをすると連帯責任で腕立て伏せという罰を喰らう。これは、世界中の軍隊で用いていると思われる罰則で、誰も好きな奴はいない。たまにフランス人のヘマのせいで外国人達が腕立て伏せをさせられるものだから、「お前ら、フランス語を話すから命令わかるのによぉ」と嫌われているフランス人も多かった。命令は全てフランス語なのにそれでヘマをするからであった。世界の共通語「英語」なんてものは1ミリも入る余地はなかった。ここはフランス陸軍なのだ。僕が新兵の頃はイギリス人のリスターというやつと仲が良かったので僕の片言英語を使ったけれど、それだけだった。特に新兵訓練伍長をやった時は大変であった。命令は全てフランス語なので、特殊な言い回しなど、外国人である僕は大変であった。でも、同僚達のおかげで何とか仕事をこなす事ができた。だが、軍務についての説明は大変であった。何しろ「伍長」とは言えフランス外人部隊勤続2年ぐらいだった僕はとにかく大変であった。

読んでくれた人、ありがとう

コメントを残す