どうやら「黒い等高線」の部分は抜けたようだ。周りには現在位置より高い部分は無くなった。かなり登った。部下の新兵達もちゃんと僕の後ろをついてきている。それにしてもきつい登り道であった・・・。しっかり歩いた新兵達を褒めてやりたい!それに自分も少しだけ。この日は登り道だけであった。だけれども、民間のハイキングコースであったので、世界になだたる「フランス外人部隊」の新兵達とはいえど、これくらいで根を上げるわけには行かない。それに先頭を歩く僕もそうであった。
荷物を下ろしてタバコを吸っていると、シェフ・アンドレスが集合をかけた。まず、僕ら分隊長達へ「中隊長が、せっかくだから、3200メートルの頂まで登ろうということで、背嚢なしで今から登るぞ!」との事だった。「マジかよ!」と軍曹達は口々に中隊長を罵った・・・。僕は分隊の伍長に背嚢を揃えて置くように指示を出し、自分のFA- MASを肩にかけた。シュミット軍曹は浮かない顔をしていた。ここまで登るのに苦労をしたけれど、かなりの高所、滑って落ちたら大変な所を歩いてきたのだ。それから「まだ」登るのだ。
30分ぐらいかけて3200メートルまでたどり着いた。その道でもたくさん民間人がいた。地図を見ると、ほぼ国境の上を歩いている。滑落したら反対側に落ちたらスペイン領だ。
景色は特別立派というわけではなかった。ただ「木」のパネルに「ここの標高」か何かが書いてあったぐらいだった・・・。問題はシュミット軍曹であった。彼は高所恐怖症であった。山の稜線は彼は何度も歩いたことはあるけれど、こんなに下まで見えるところではなかった。なので、「落ちたらどうしよう???」とばかり考えていたそうだ・・・。ほんの数分だけそこの「頂上」を見学?して宿営地へ降りた。なんのことはなかったけれど、ただ単に疲れただけであった・・・。
問題はその夜のことであった・・・。山の頂上というのはどこでもそうだと思うけれど、登山客が石を積み上げてあるものだ。ここもそうで、石を積んで壁のようになっている場所が数箇所あった。シェフ・アンドレスはその壁際に寝袋を敷いて「今夜はOK」のようであった。頂上ということもあり風が強かったけれど、シェフ・アンドレスの選んだ場所の壁はちょうどその風を遮るようになっていた。それが悲劇になるとはこの時、誰も予想はしなかったのだ。携帯食糧の夕食を取り僕も遅くなる前に寝た。
翌朝、目覚ましが鳴る前に「軍曹、軍曹」と誰かが呼んでいる。パキッと起きて声の方を見ると、見習い伍長のプヴャーレと新兵がいた。コーヒーの入ったキャンティーン・カップを持っている。僕は新米軍曹なので知らなかったが、そうやって軍曹を起こすしきたりがあるのを知った。それを聞いて、「ありがとう。もう起きたよ。そのコーヒーは携帯食料のやつだろ???大事なコーヒーだからお前が飲め!」と受け取らなかった。新兵は「軍曹というものはこういう風に起こすものだ」と伍長のプヴャーレから教え込まれたようで、なかなか立ち去ろうとはしなかったけれど、「早くあっちへ行け!」と命令を出して立ち去らせた・・・。
僕は半長靴を履くと、大事な水を使って今度は自分のコーヒーを淹れた。携帯食料に入っているクラッカーを2袋ほど食べて僕の準備はできた。小隊長のシェフ・アンドレスのところへ朝の挨拶に行った。彼は額に擦り傷とデカいたんこぶを作っていて元気がなかった。僕が思わず「何かあったんですか???」と聞くのが終わらないうちにシェフ・アンドレスは「オイク(及川を略してこう呼ばれていた)昨日の夜中、時間は忘れたけれど、風で壁の石が頭の上に落っこちてきてこの有様だよ・・・。」と言った。僕は笑いそうになるのを堪えて「マジっすか???』と言うのがやっとであった。シェフは顔色も悪そうで、元気がなさそうであった・・・。それでも今日は下り道なのでなんとかなるだろう・・・。シェフ・アンドレスは「やっていられないぜ!」と嫌そうに背嚢を背負うと出発準備に取り掛かった。
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