B 266 黒い等高線

食事の時、中隊長とシェフ・アンドレスの話を聞いていると、近々中隊で行軍するという。その時「君の小隊はそれがケピ・ブランの行軍をやったらいいだろう???」と言う事であった。飯どころではなかったのは僕だけではなかった。シュミット軍曹も心配顔であった。食事が終わり、中隊長とシェフ・アンドレスは日程の話を中隊長と地図を見ながら話を詰めているようであった。中隊長がコーヒーを飲み終えて帰路に着くと、シェフ・アンドレスから説明があった。中隊で行う行軍についてだ。なんでも、7月後半、スペインとの国境付近を歩くらしい。シェフ・アンドレスが地図を出して僕らに見せてくれた。その知事は中隊長が持ってきた物で、5枚あった。僕ら一人1枚ずつだ。「ここからここまで4日ぐらいかけて歩く。」地図の出発を見ると、小さな橋があって、「Pont d’espqgne」と書いてあった。(スペイン橋とでも訳そうか???)そこから道はすぐ上りになる。それも等高線の感覚がわからないぐらい黒い・・・。それは急な登り道を意味した・・・。スペイン橋からそんなに遠くないところから見渡す限り上りだ。その地図は5万分の1の地図だったけれど、そんな黒くなるほどの等高線は僕はほとんど見たことがなかった。距離的にはそんなに距離を歩くわけではなかったが、山道、それものぼりだ・・・。一番高いところで3200メートルあった。そこまでは行かない予定であったけれど、あの中隊長、自分ガランドナヴィゲーション苦手なのしっているのか???どうせ自分のオフィスかどっかでプランを練ったのだろう???とみんな思っていた。
新兵たちの訓練はそんなこと関係なしに進んでいく。僕は夜晩飯が済むと自室でその渡された地図を何度も見つめ直し、持っていくものを如何に減らして背嚢を軽くできるか考えた。それと、通り道に水場がないのも問題だった。出発地点までは道路が通っていたので、シェフ・デュミの補給トラックがいる1日目はいいだろう。2日目、川が近くを流れているのを見つけた。そこで汲めばいいか・・・。その時僕が使っていた水筒は、米軍のやつでプラスチックのやつだった。フランス軍の正式のやつはアルミ製で1、5L入るものだったけれど、水筒の中を綺麗に保つのが大変だった。それにキャンティーン・カップもアルミ製で、飲み口が熱くって使いにくいものであったので、米軍のスチール製の方が使い勝手が良かったからそれを使っていた。水は0・9Lと量的には少なかったけれど、キャステルノダリーの街にサープラス・ショップが出来て、そこで大きさはフランス軍の1、5Lだけど、プラスチック製の水筒本体をそこで買って持っていたので、水問題はとりあえずそれで凌ぐしかない!と腹を括って準備した・・・。僕の背嚢の中身も、側面の部分に普通は寝る時寝袋の下に敷くウレタン・マットを入れて、常に背嚢の形が崩れないようにして使っていた。なので、中に何が入っているか遠目にはわからない。その中に最低限のものだけ入れて軽くしようと決めていた。新兵には悪いが僕は軍曹だ。それは役得とでも言おうか???伍長たちも似たようなもので、必ず軽めの背嚢であった。

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