雑談:日本帰国

    先月、34年にわたるフランス生活に見切りをつけて、日本へ帰ってきたのだ。
膝の手術やリハビリなどで、1年ちょっと日本にいた。その間にフランスのアパートの大家から、家を売りに出すという連絡が来た。僕の部屋は大家の家に接しているので、それ込みで売りに出すようであったので、「3月か、もう少し暖かくなってからフランスに戻ろうか?」という僕にとっては寝耳に水の話であった。また新しく住むところを探さなくては!という状況になったのだ。なので、急いで算段をつけてフランスへ戻ったのは、2023年の2月下旬であった。
    羽田空港が大変であった。スーツケースを預けたはいいけれど、持ち物検査場で膝が悲鳴を上げてしまい、どうにも歩くのが大変になったので、どこの航空会社かわからなかったけれど、エールフランスの人を呼んで貰い、その人に頼んで「車椅子」を用意してもらい、搭乗の待合室まで長い通路を押してもらった・・・。以前はその長い通路も平気であったが今回だけは無理であった。それに、バックパックの中には13インチではあるがMac・Bookが入っていて、そのケースには電源、HDDなどが入っていて重いのなんの・・・。MacBookが重いのは知っていたけれど、これほどだとは思いもしなかった・・・。
    なんとか搭乗できたので、一路フランスへ向かう。CDG(シャルル・ド・ゴール空港)では、日本から連絡が入ったようで、車椅子が待っていた。
    それに乗って入国手続きなど滞りなく済んで、さて、スーツケースというと、普段なら入国のパスポート検査場からそんなに遠くないところで受け取ることができるのだけれど、今回はそううまくいかず、違うターミナルまで連絡用の電車(CDGVAL)に乗らなくてはならず、スーツケースのハンドルにすぐわかるように赤のバンダナを巻いていたのですぐ見つかったのが幸いであった。どこまで車椅子に乗っていられるかというと、そのエールフランスの職員の方、なんとSNCF(フランスの国鉄)の駅まで車椅子を押してスーツケースを引っ張りながら送ってくれたのでした。いや、本当に助かった!
    電車に何とか乗ってアヴィニョンの駅に着いた。駅には、引越しなど色々と手伝ってくれたダノ(ダニエル)が迎えに来てくれた。そして1年3ヶ月ぶりにアパートに入った。すぐに気がついたのは、フランスで持っていた7本のエレキ・ギター、16インチのMacBook、など、総額100万円以上のものがなくなっていた。ダノに言わせると、「大家が怪しい。アラブ人だからな!」ということだったけれど、証拠もない。ちょっとした事件であったけれど、それで日本へ帰るという決心がついたのかな???警察へはと思う人もいると思うが、それだけの年月アパートを空にしておいて、何を今更???と言われるのがオチだ。日本の警察ほどフランスの警察は優秀ではない。Macのパソコンはまずパスワードがないと開くことができないし、入院している時に一度変えたし、日本語なのでわかるはずはないと思う。まぁ、それだけの期間いなかったのは確かだし、そのせいであまり愛着はないので、「なくなったものはしょうがない」と思うことにして、日本へ帰る準備をしなければ!ということで、色々と始めた。
    ダノがほぼ毎日顔を出してくれたので、色々と助けてもらった。そして車で買い物などに連れていってくれた。彼が来るたび、まずは一杯ということで、彼はウイスキー・コークが好きだったので、スーパーでウイスキーやコークなど色々と買い物をした。
    荷物用の段ボールを買い込んで荷物を作る毎日が始まった。その間、引越し業者を見つけたりなかなか忙しかった。午後に作っておいた氷で夜はYouTubeを見ながらハイボールを作って一杯やった。
    嬉しかったのは、車の面倒はダノがやっていてくれたので、エンジンは1発でかかり、何も不具合はなかった。だが、もう車を運転することはないだろう・・・。なので、売値の20%をやるということで、ダノに車は任せた。MBのSLKはいい車であった・・・。
    荷物はというと、 30X30X60センチの段ボール12個とナイロン製のスーツケース3個、でかいペリ・ケース1個である。あれだけ色々盗まれているのに、服は1着も盗まれていなかった。不思議なものである。靴も残っていた。ただ問題はペリ・ケースの中身であった。ナイフ3本、それは長さとか含めて違法ではないやつだったけれど、何しろフランス軍に18年もいて爆発物処理チームにいたのだ。フランス外人部隊を除隊する時、チームからの贈り物に手榴弾(同僚が中の火薬類を全て抜いた)をくっつけてある記念の盾を送り物としてもらったものが入っていた。引越し業者からまず連絡が来た。僕は内容物はしっかり書いたけれど、それが災いして色々と聞かれた。フレンチ・ポリネシアで2年勤務した時にもらった貝殻のついた贈り物なども「これはワシントン条約に違反していないか???」などだ。荷物は船便なので、多分横浜に着くだろうということで横浜の税関へも電話したりした。「現物を見てみないと・・・」との返事だったので、今はとにかく荷物が日本へ来るのを待っている状態である。とにかく引っ越すというのは大変なのである・・・。
ということで、無事に日本へ帰ってきたのである。特に何も感じなかった。感傷的になるのはまだ早いのかな???全然懐かしくもないし何でだろ・・・。
フランス出発の日、特に感慨に耽るということはなかった・・・。

                      読んでくれた人、ありがとう