B 263 最初の行軍

    最初の「行軍」の訓練があった。その日が6キロの距離だと言うのを地図で確認していた。普通の軍隊なら1時間半ぐらいで歩く距離であった。特に軍隊経験のない若者たちの集団である新兵たちなので、あまり無理をさせないようにしていた。人生で初めて半長靴を履くものがほとんどで、小隊長のシェフ・アンドレスは「2時間ぐらいでゆっくり行け!」と言う感じであった・・・。
    僕は第3分隊であったので、3番目の出発であった。ただ、「民間の土地には入るな!」と言われただけで、普段の駆け足のコースとほとんど変わりない起伏の少ないコースであった。僕は普通のスピードで歩いた。だいたい1時間弱で最初の休憩のため止まった。皆、足は大丈夫なようであった。僕は背嚢も下さず立ったままでタバコに火をつけた。タバコを吸いながら分隊の兵士を見てまわる。半長靴の紐をキツく直したりしているのが何人かいたぐらいで、なんともなさそうなので、10分弱ぐらいの休憩後、僕は「背嚢を背負え!」の号令とともに再び歩き出した。この辺の土地勘はあるので、地図はいらないぐらいであった。そのまま歩いて行くと、訓練場のある農場が見えそうなところに来た。隊列を整えて農場到着。誰一人脱落はしなかったが、何人かは足を引きずっていた。でも「足が痛いです・・・」と言うものはいない。あとは伍長に任せて僕は自分の部屋へ背嚢を置きに行った。第2分隊のシュミット軍曹はすでに農場て到着していたが、一番最初に出発した第1分隊のトルコ人のチムラン軍曹の姿が見えない。彼がランド・ナヴィゲーションが不得意なのは話に聞いていたけれど、最初の行軍でそれが分かった。僕の分隊の20分ぐらい後から農場に着いた。第2分隊のシュミット軍曹に「近くの農場の牛でも見て来たのか???」と揶揄われていたが、トルコ人のチムラン軍曹は「あんまり距離が短いからな!」などと強がりを言っていた。第1分隊の伍長に聞くと、途中変な方向へ向かって「これはやばい!」と思ったらしいが、トルコ人のチムラン軍曹は道に迷ったとは言えないので、伍長に地図は絶対に見せなかったそうだ。
次の朝、チムラン軍曹の治療の時間が来た。結構な人数のものが足にマメを作っていたので、衛生兵の資格を持っているチムラン軍曹の前に結構な人数が並んだ。彼がまず、注射器をマメに刺して中の水を抜く。その後、ヨードチンキの液体をそのマメの部分に注入する。みんな顔を顰めて痛みを堪えているのが分かった・・・。ポーランド系の部隊兵が何人かいたが、彼らは我慢強かった。一言も発せず治療の場所をさって行く。足を引きずりながら・・・。中には「マジかよ!」というぐらいデカいマメを作った兵士がいたけれど、最初の行軍で新兵を潰してしまっては仕方がないので、シェフ・アンドレスは安心したようであった・・・。

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