B 257 新兵訓練軍曹として第4外人連隊へ

    なんだかんだで資格は取れただろうと言う事で、ニアス軍曹の運転する彼のBMWに乗せてもらい連隊に帰った。出発したのは金曜日も午後遅い時間で、連隊に着いたのは夜中であった。僕は車を買う金などないし行く場所は彼と同じ連隊なので相乗りということになっただけの話であった。それに電車であの大荷物を持って帰るのも嫌であった。ニアス軍曹としても僕が一応予備の運転手ということで都合が良かったはずである。途中は国道沿いの小さいカフェで休憩とコーヒーを飲んだだけでただひたすら走った。
    当時はまだ半ドンで土曜日の午前中は仕事だったので、土曜の朝は普通に戦闘服に着替えて中隊へ顔を出したはずだけれど、あまり記憶に残っていない。ただ、軍曹として必要な資格は取ったし、あとは自分の小隊へ月曜日になったら戻るだけであった。そうこうしている内に、僕がいる第3中隊の中隊長が変わることになった。大柄で親しみのあったジュリアン大尉から第2中隊出身のポベル大尉へ交代した。このポベル大尉はアジア人に偏見を持っているのは知っていた。第2中隊の日本人タケシタ君から聞いて知っていたのであった・・・。そのうち6月になり第4外人連隊へ軍曹連中が派遣される話が浮上した。そこで選ばれたのが僕だった・・・。ポベルのせいである・・・。出発は7月と決まった・・・。僕は下士官クラブで悔しくて泣いた。せっかく資格を取ってもそれを活かすことさえ出来ず連隊配置換えである。同僚のイギール軍曹や何人かが僕の周りに来て慰めてくれたけれど、なんの役にもならなかった。唯一の救いは、第2中隊にいた下士官クラブでたまに会うとよく話すデロベル軍曹であった。
「第4外人連隊?あそこはいいところだったよ!いい連隊であったよ。」彼はすでに1年の新兵訓練軍曹を体験していて最近連隊に戻って来たのであったので、僕に取って先生だった。それに彼が言った事が大切であった・・・。彼はそれら新兵訓練軍曹として過ごした日々を「いい日だった。いい連隊であった」と言ったのだ。今の僕にはそれだけが必要な言葉だった。それ以外のことが考えられず、仕方なく僕は荷物を作り始めた・・・。

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