B 252 呑んべぇ製造所

B 252 呑んべい製造所

    外人部隊の新米軍曹当時の1日を振り返ってみようと思う。

    中隊の軍曹は7時半ぐらいに中隊へ行けば良いのだが、日番軍曹になるとそうもいかない。兵士たちの居室の整理整頓ができているか???割り当てられている掃除場所の掃除はちゃんと出来ているかなど確認しなければいけないのだ。なので朝7時ぐらいには僕は中隊に行っていた。その点検が終わって小隊事務室に戻ると、日番伍長がやってくる。人員報告や兵士の健康状態、何か特別なことがあったらその報告に来る。
    特に何もなければ中隊集合になる。当時の集合時間は7時45分であった。それが終わると駆け足だ。だいたい8キロのコース、日によって変わるが、それが延びる日もある。当時は駆け足はほとんど毎日であった。大体8時半ぐらいに朝の運動を終える。その後は下士官宿舎に戻ってシャワーを浴びて着替える。次の集合時間は9時半だ。30分もあればシャワーを浴びて着替えを済ませることが出来たので、その足で下士官クラブへ向かう。下士官クラブにはビリヤード台があって、僕も同僚のイギール軍曹もビリヤードが好きであったので、2ゲームぐらいやっていた。その時、すでにビールを飲んでいた。場合によってサンドイッチをつまむ時もあった。なので、一日の1杯目は9時ということになる。
    訓練は大体軍曹が行う。11時半ぐらいに終えて半長靴を磨き、再度下士官クラブへ昼飯のため向かう。だがここはフランス外人部隊だ。すぐにテーブルについて昼ごはんを食べるやつはいない。まずは下士官バーへ顔を出して先に来ている下士官に挨拶をする。そして初めて飲み物を注文出来るのだ。ここでもビール。他には「アニス酒」を飲んでいるものもいれば、ウイスキーのもいると言った具合で酒は何でもあった。僕は、一緒に来た同僚たちとその日の訓練の話、次の演習の話など何でも話した。ビール片手である。13時ぐらいになると「テーブルに行くか???」ということになり食事が出来る部屋へ移動する。その時、飲んべぇの先輩に「オイカワ、これを持って来い!」とワインのボトルを渡された。新米の軍曹の役目らしかった。それでも、ボトル1杯というのは、普通のワイングラス3つに入れるとちょっと残るくらいで終わる。食事が始まると、前菜が終わる頃になると、すでにグラスは空だ。そうなるとウエイターに頼んでもう1本ということになる。僕らは4人で食べているけれど、みんな酒は好きだった。僕などは新米だけれど酒は好きなので、やっぱり飲んでしまう。ということで、ワインは2本飲むことになる。(グラス2杯強、の飲まない奴もいる時はである。)11時50分ぐらいから13時までビールを8杯(1っ杯250ミリ=2リッター)、食事の時は4人でワインを2本(最低)、食べ終わると「コーヒーでも飲むか???」ということになる。また下士官バーへ逆戻りだ。まずコーヒーを人数分、バーマンに注文する。だがすぐには出さない。僕らは同時に「コニャック」やいろいろな食後酒も注文するからだ。それをバーマンか聴き終えてからコーヒーが出てくる。そして僕らが注文した食後酒の準備に取り掛かるのが常だった。12時から14時が昼食時間なので、2時間もある。だからこんな真似が出来たのだ。
    14時は中隊集合なので、10分前ぐらいには中隊へ戻る。14時の集合が終わると、17時ぐらいまで午後の訓練をする。午後の訓練は少しヨイヨイ気味である。17時30分ぐらいになると、再び半長靴を磨いて下士官クラブへ向かう準備を始める。早い時は17時の時点で、士官・下士官用の中隊クラブですでにビールを始める時もあった。ここではビールはコークなどのソフトドリンクと値段は同じであったかいい(当時の値段で2フラン50サンチーム、大体50円ぐらい)「それならば・・・」と、みんなビールを飲んだ。同僚のイギール軍曹は妻帯者だったので、僕らには付き合わずさっさと家へ帰ったけれど、僕は独身で新米軍曹だ。夜は何もすることがない。「何をしよう???」何をするかといえば下士官クラブのバーへ行って飲むしかあるまい。そして下士官バーへ行く。似たような考えの同期の下士官や先輩下士官たちが先に来てすでに1杯やっている。僕も注文して本日何杯目かわからなくなったビールを飲むのだった・・・。先輩下士官の中にはアル中気味の下士官がいて、その先輩下士官に捕まって散々飲まされた時もあった。それから逃げる術を覚えなくてはならなかった。それが出来て立派な下士官なのだ(笑)そうやって今夜も飲んでしまって、下士官宿舎に帰るのは9時を回ってい流ことが多かった。当時はバーに客(僕らの事)がいる限り閉店時間は無かったのだが、先任下士官が変わってファルコ先任になって閉店が21時になったので、助かった軍曹たちがかなりいたはずだ。
    外人部隊に入る前にもそれなりの酒量ではあったが、入隊してそれを遥かに上回る酒量になったのは確かだ。当時は酒が飲めないやつは「使えないヤツ」と言われたほどであった。とにかく機会があれば酒であった。兵士の中には朝起きて先ず1本目を開ける奴もいた。そいつのベッドの下にはいつも「クローネンブール」の箱が入っていた。
    とにかく当時の外人部隊は酒酒酒であった・・・。

                   読んでくれた人、ありがとう

2 comments / Add your comment below

  1. 落合信彦の書籍でフランス外人部隊出身者が「外人部隊はアル中の巣窟だ。医者は治療するのではなく一日のアルコール量を決めるだけだ」と笑っていたというのを思い出しました(笑)

    1. それは本当で、1991年のアフリカ遠征で医務室に入った時に医者の中佐にビールは何本までと言われました。

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