B 250 雑談

    一応下士官に昇進したので、これで一段落ついたのだ。当時、下士官になるには、2回目の契約書にサインしないとダメだとか言われていた。ということは最低5年はいないとダメであった。だが、どこにも例外はある。僕が親切にしてもらっていたユーゴスラビア人のロッソ最先任下士官などは1年9ヶ月で下士官であったし、何人も5年未満で下士官になった人はいた。僕は日本人として2人目の下士官昇進であった。一人目は、のちにイラクで亡くなったSさんであった。僕の後、日本人の3人目の下士官は、第2外人歩兵連隊で一人いたけれど、やめてしまったし、大体の日本人は、外人部隊の最初の5年の契約で除隊してしまうので、当時はなかなかなり手がいなかった。今は比較的早く軍曹になれるみたいで、数人日本人下士官がいる。
    ここまでの話は、3年ほど書いていた「日記」と僕の記憶を頼りに書いたものです。嘘はありません。まだ5年の最初の契約は終わっていませんが。
    これからの話は、自分の個人ファイル(DICI=Dossier Individuel de Campagne et de l’Instruction)に載っている勤務記録からのものになります。それに加えて思い出したものを話ししていきたいと思う。それらに付随したことも色々話していきたいと思う。もう外人部隊を除隊して15年が経った。
    フランス外人部隊、勤続18年、そのうち15年を下士官として過ごしたわけだが、あっという間だったし、除隊してからもあっという間の15年であった。今膝の治療で日本に帰ってきているけれど、これからの自分の身の振り方も悩むところだ。フランスに戻って今まで通り暮らすのか、それとも、フランス生活を全て引き払って日本へ帰国するのか???全ては膝の治療次第である。なぜなら、もう膝は以前の様に動かすことは出来ないし、普通に仕事は出来ないだろう。どうしようかなぁ・・・。
    毎週土曜日にこのブログを更新してきたけれど、これからは不定期の更新になると思う。毎週土曜日の更新を楽しみにしている人もたくさんいたと思うけれど、ごめんなさい。ただ、このブログは、僕の人生の話なので、フランス外人部隊除隊まで続きます。以前話したと思うけれど、現在のフランス外人部隊のことは、部下だった日本人が何人も本に書いているので、そちらを参照されたい。僕が外人部隊に志願したのはもう30年以上前のことであり、「どっかのおっさんがなんか言ってるぜ!」ぐらいに据えてください。

                            読んでくれた人、ありがとう