B 232 15キロメートル、フル装備での駆け足

1991年10月某日

 

最初の授業はシェフ・ポーツェネムのランド・ナヴィゲーションであった。各自に地図が渡された。これは僕達がいるカステルノダリーも含まれていた。と言うことはこの下士官訓練が終わるまでこの地図は使うと言う事だ。各自シルバ製のコンパス持参だったので、その地図とコンパスを使い授業が始まった。

全員か士官候補生は元伍長なので最低限のランド・ナヴィゲーションの事は知っているけれど、その復習だった。コンパスの使い方、地図の読み方などだった。そして一人づつシェフに呼ばれて彼の前で地図とコンパスで方角を示せと言われた。まず地図を北に合わせなければ始まらない。それが最初だ。よく戦争映画などでジープのボンネットの上で地図を開いてコンパスを使っている場面があるかもしてないが、あれは嘘だ。ジープの鉄製のボンネットの上などコンパスがまともに動くはずがない。これは笑い話の一つで、僕ら下士官の間でよく使われるけれど、実際の話、新米の中尉などで本当にやる馬鹿なやつがいるのであまり笑ってばかりいられない事であった。

僕が呼ばれた。シェフの前へ行く。「オイカワ、まずここがどこか示して2850ミリエムの方角を示せ!」とシェフに言われた。まずコンパスで北を確認して地図を北の方角へ合わせる。それからシルバのコンパスの真ん中が円になっている部分を回して2850ミリエムをコンパスの方角を示す矢印の部分に合わせる。側面をカステルノダリーに合わせた。「これが2850ミリエムの方角です、シェフ!」と答えた。僕は難なく出来たので特になんとも言われなかった。この下士官訓練コースには事務、メカニックなどのいろいろな職種から来ているので、最低限のランド・ナヴィゲーションが出来るかどうかと言う確認のため、全員シェフの前で実演させられたのだった。僕は伍長訓練コースのレイ曹長にランド・ナヴィゲーションは鍛えられたので何とも無かった。だが何人か手こずっているようで、やはり普段地図やコンパスを使い慣れていないと難しいのだろうと思った。

この当時の軍曹訓練コースでは15キロT A Pというのがあった。これは8キロの重さの背嚢、F A -M A S、装具、ヘルメットなどフル装備で15キロメートルを走るというものがあった。それも毎週。軍隊の作戦は時間通りにその場所にいなければならないので間に合いそうになければ間に合わせるために走る。軍曹に必要な最低限の体力なのだ。なので普段運動着で走る駆け足も距離が長くて大変であった。それに小隊の教官連中は駆け足が非常に得意で、僕ら下士官候補生は全員足元にも及ばないのであった。特に強面のシェフ・ポーツェネムなどは走り終えてもシャワーを浴び終えて着替えるのも早いし、彼に慣れるのは大変であった。

知っているどの軍曹連中に聞いても「15キロT A Pがきつかった!」と言うほどで、これは軍曹訓練コースの伝説の種目でもあった。残念ながらこれをやった軍曹訓練コースは僕らが最後で、そのあとから普通の8000T A Pに戻ったと言う事だ。のちに無事下士官になった僕でも2度とやりたいとは思わないほどの種目であった・・・。ただ外人部隊では駆け足は普通のスポーツと言う扱いなので早く慣れなくてはならない・・・。どんな服装でもだ。運動着はまだいい方で、やはり戦闘服での駆け足は半長靴なのでキツい。なので普段から長距離を走るのだ。おかしなもので、タイムは運動着でも戦闘服でもあまり変わりがないと言う事だった。でも、この15キロメートルT A P、新兵訓練ならば行軍する距離だ。それを駆け抜けなければならないという、軍曹訓練コースと言う「何とも凄い所へ来たもんだ!」と何度も思ったものだ・・・。

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*シェフとは、フランス軍で「上級軍曹」はSergent-Chefと言い略してChef(シェフ)と呼ぶので略して書いております。