B 228 カップラーメン

1991年8月5日、6日(月、火)

ロッククライミングとラペリングの訓練だった。もうこの頃はラペリングにも慣れているので、8の字リングを使わず、直接ハーネスに付いたカラビナーに降下用のロープを通すようになっていた。

昼食の時、お互いに伍長になっていたドレゼと川辺で2人で食べた。小隊の新兵や残りの連中は軍支給の携帯食糧だったけれど、奴はいつも通り個人で準備したソーセージとか色々持っていた。僕はというと、この間パリの日本食品店で買って来た日本でお馴染みのカップラーメンを背嚢から取り出した。「なんだ、それは???」。目敏いドレゼは言った。

僕は「お湯を入れたら出来上がる、日本製のラーメンだよ!」と説明してお湯を沸かし始めた。奴は胡散臭そうに僕を見ていた。お湯が沸いた。ドレゼは相変わらずこっちを凝視していた。僕はカップラーメンにお湯を入れてその上にベレー帽を乗せて重石にした。

数分経ち僕がカップラーメンの蓋を剥がし取ると、奴は我慢できなくなり覗きに来た。「おぉ!」奴にとってはちょっとしたカルチャーショックだったようだ。僕は割り箸を普通に使い日本にいた時のように食べ始めた。奴はまた「おぉ!」と声を上げた。他の連中も見にやって来た。「オイカワがなんか変わったものを食べているぞ!」と口々に言った。この当時、連隊の売店では中華製の袋麺は売っていたけれど、誰もカップラーメンは見た事が無かった。なのでしばらくは質問攻めにあった。ただ値段だけは高かったが・・・。

 

1991年8月12日(月)

小隊の半分以上が夏の休暇に入った。

 

1991年8月13日(火)

小隊で嫌われているドジェイ軍曹と衛兵勤務(ガード)。特に問題は起きず大した事は無かった。

 

1991年8月14日(水)

外人部隊にはガード明けだからと言って代休などはない。午後から行軍に出るという事だ。新しく小隊に来たベトナム系フランス人のブラン中尉は自分中心でものすごいスピードで歩き出した。僕らはガード明けだったので全くやる気が無くうんざりした・・・。途中、河を泳いで渡ることになった。トルコ人で2等兵のヤマニは泳げないという。仕方がないので背嚢に着ているもの、半丁靴を詰め込み、海パンになって背嚢を浮き袋がわりにしてヤマニの脇を彼を支えながら河を泳いで渡った。反対岸に着くとヤマニは死にそうなほど息を切らしていた。お前、何もしていないだろ!と思ったけれど、何も言わなかった・・・。

 

1991年8月15日(木)

朝はゆっくり出発した。昼食はこの日はレストランだったので、食事前に冷えたビールを飲む事が出来た。午後、近くの鍾乳洞へ見学に行くということになった。鍾乳洞の中は、夏だったけれど、すごく涼しかった・・・。

 

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