B 230 再び第4外人連隊へ

1991年9月某日

新しい連隊長の連隊面接が始まった。文字通り士官から兵卒まで連隊の全員だった。酒保の建物の一室がそれにあてがわれた。部屋には連隊長以下、中隊長、中隊事務の下士官しかいなかった。面接が始まって何日目だったか、とうとう僕の番がやってきた。連隊長は背が高くがっしりしたペテルシャイム大佐。僕は自分の階級、勤続年数、所属を連隊長の大佐に申告したらすぐに「休め!」と大佐から言われた。僕は急いで「休め」の姿勢をとった。「俺の名前をアルファベットで言ってみろ!」と連隊長からいきなり言われた。「ぺ・ウ・テ・ウ・エール・・・」なんとか言えた。「軍曹訓練にもうすぐ行く事になっている様だな!その準備は出来ているか?」と聞かれた。僕はすぐ「はい!」と元気よく答えた。そのほか当たり障りのない会話をした。僕のフランス語力を試しているのかな???あっという間に数分が過ぎた。「退出せよ!」の命令が出たので退出した。汗びっしょりであった。こんなに偉い階級の人とこんなに長く話した事は無かったからだった。緊張はあまり無かったけれど、この時の事は今でもよく覚えている。なにしろ連隊面接というものは聞いた事がなかったし、文字通り全員であったからだ。今でも連隊装設日かメロン記念日などで

将軍に進級して退役した彼に会う事があると、彼も僕の事を覚えていてその当時の話で盛り上がった。

 

うちの連隊から軍曹訓練コースへ行くのは戦闘中隊からは僕の他に第1中隊からユーゴスラヴィア人のリバー、第2中隊の無線士、フランス人のラニェーなど、支援中隊から数名がいた。勤続年数は僕が一番若かった。あと数週間であの懐かしい、でもあまりいい思い出のない第4外人連隊で行われる軍曹訓練コースへ向かうのだ。僕は新兵訓練伍長として最近まで第4外人連隊にいたので「またかぁ!」とは思ったけれど、あまり嫌な思いではなかった。確かに新兵訓練や伍長訓練コースなどは大変であったけれど、いろいろな人に助けられたし、沢山知り合いも出来た。優秀な軍曹たちもいた。一生懸命訓練に励む新兵たちもいた。なので、僕は嫌な事は思い出さないで期待の方が大きかった。出発までいろいろ荷物を準備したりゆっくりと毎日が過ぎていった・・・。

 

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