B 222 行軍しながら泣きべそをかくな!

1991年5月4日(土)〜5月12日(日)

特に記述なし。

 

1991年5月13日(月)

連隊が管理しているフランス南西部にあるCamuracという村にある保養施設まで連隊のバスで向かった。小隊はちゃんとケピを受領したし、新兵訓練ご苦労様という感じでこの保養施設で比較的楽な日程で一週間ほどゆっくり出来るといういわゆるご褒美的なところでゆっくりするのだ。ただ小隊には46名ほど新兵がいるので、携帯用簡易ベッドを居室に並べると手狭であった。僕ら伍長連中も同じ居室で狭かった。中尉や軍曹たちは一人部屋ないし2人部屋で楽そうであった。大変だったのは食事で、数カ所ボコボコ引っ込んでいるプレートに肉や野菜、デザートなどを一気に盛り付ける物なので、食事の後それらを洗う役目はみんなやりたがらなかった・・・。

 

1991年5月16日17日行軍

初日から雨で、モーラというフランス人が遅れだした。僕はモーラに付いて最後尾を歩いていたけれど、どんどん分隊との距離は開いていった。モーラはまだ17歳で背も低く、後ろから見るとでっかい背嚢が歩いているような感じであった。彼は途中から泣き出した様で、悪態をつき泣きべそをかきながら歩いていた。そのうち分隊が見えなくなりかなり離されてしまった・・・。途中、木立の中にファーブル軍曹の姿が見えた。彼はプラスチック製のシートを広げてそこに中尉と中尉の無線係と雨宿りしていた。中尉が僕らに向かって手招きをした。僕達もそこへいって休憩することにした。モーラはまだ泣いている。中尉がニヤニヤ僕達の方を見ている。僕は泣き止まないモーラに向かって励ましたり元気付けたり泣き止む様色々とやってようやくモーラは泣き止んだ。中尉が「お前はあの厳しいMarche Kepi-Blancをちゃんと歩いただろ!」とか言っていた。僕もタバコに火を付けながら「その通りだ。お前なら出来るだろ???」などとモーラを励ました。本当のところ、僕は「これぐらいの行軍で泣くな!」と思ったけれど彼には言わなかった・・・。

その日の夕方ようやく宿営地の農家の庭に着いた時は流石の僕でもその日歩いた距離が、軍曹に聞くと30キロメートルを超えていたので疲れを感じた。

この日は分隊のドイツ人新兵が傍にいたので、「プラスチックのシートを出せ!」と命令を出した。そのドイツ人の新兵は伍長のそばで寝られるのが嬉しくて仕方がないと言った様子でニコニコしていた。プラシートで簡易テントのような物を急いで作りその下に寝袋などを出した。庭には鉄条網の柵がありそこにシートの端を結び付けたりしてすぐに寝る準備は出来た。小隊の残りもやってきた。全員揃ったところで小隊の人員・武器・装備を点検して軍曹に異常無しと報告して夕食となった。僕はきつく締めていた半長靴の紐を緩めた。一応明日保養所へ戻るという日程なので明日頑張れば大した事は無いだろう・・・。

 

読んでくれた人ありがとう