B 223 外人部隊の変な奴

1991年5月20日(土)

小隊はCM2(Certificat Militaire 2Dégré 基本軍事訓練第2段階=小隊長の基礎訓練)の支援という事で、管理者養成訓練中隊の訓練場まで出発した。この資格は下士官専用の訓練で、これを取得しないと軍曹から上級軍曹になる事は出来ないと言われていた。また、1度目で落ちても3回まで受ける事が出来るというものであった。これを落とすと昇級は出来ない。勤務評定が非常に良くて資格取得前に上級軍曹になったものも数人いるけれど、この資格を取らないとそれ以上の昇級はない。のちに自分が軍曹になった時に気づく事だけれど、この資格を3回落とした軍曹連中は外人部隊に限らず結構な数がいた。

僕達の小隊は彼らの戦闘訓練の「駒(兵士)役」であった。僕は伍長なので、CM2の生徒の軍曹たちの命令を聞き自分の班の新兵達をその命令に従って指揮をするだけであった。ただ指揮下には新兵しかいないので、命令をよく分からせるのが大変であった。

 

1991年5月21日(日)

僕の24回目の誕生日は運悪く「警衛」にあったってしまい何も出来ずに終わった・・・。

 

1991年5月22日〜6月4日

特に記述無し

 

1991年6月5日(水)

連隊で、南西フランスのCanjersというところに演習で向かうらしい。連隊中の車両が移動するという事で、物凄い車両の数であった。僕はどういう事か車長に選ばれてしまった。普通ならば車長は最低でも下士官の役割なのだが。運転手は同じ中隊で武器庫の係をやっているディヴェレスというフランス人の伍長であった。彼はおかしな所があり、無断外泊の常習者で、無断外泊して営倉に入るのだが、営巣を出るとまた無断外泊を繰り返すという事をやっているのだった。ただ、外人部隊にはそのような変な奴がたくさんいて、別に彼だけがおかしいという訳ではなかった。

彼は中隊内では管理小隊にいて武器庫係の他には運転手などいろいろな仕事を任されていた。顔もよく知っていたし、彼の運転ならば大丈夫だろう。

午後になってやっと出発した。雨降りであった。最初の晩は中隊の訓練施設がある「la jasse」で一泊であった。翌日8時ごろ出発して今夜は南フランスのニームで1泊であった。

 

1991年6月7日(金)

道路がどんどん山の方へ向かっていく。Canjersに到着した。この演習場はとても広くて各国の軍隊が射撃訓練でやってくるという話であった。戦車砲以外に普通の野砲、迫撃砲、ミサイルなどいろいろな武器の射撃が出来る。もちろん爆破訓練もできる。ものすごく広い演習場であった。ただ到着した時はひどい雨であった・・・。ついたところはテント村が出来ていて酒保もあった。

 

1991年6月8日(土)

朝は駆け足から始まった。そのあとは一日中戦闘訓練であった。山が多いので上り下りが多くて初めての演習場という事もあり大変であった。だが新兵達はもっと大変そうであった。

 

 

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