B 224 初のキセル

1991年6月9日(日)

夕方から夜通し行軍に出発した。夜通し歩くという事は軍曹達も知らされておらず、22時ごろ、どうやら夜通しになるのじゃないかと軍曹が言ったので覚悟を決めた。地図を見せてもらうと、キャンプしているテント村はかなりの距離があった。

明け方になりやっとテント村に着く。その日は休みではなくこれから射撃場へ向かうという事だ。89ミリ対戦車ロケット砲の縮小射撃装置を使っての射撃という事だ。ロケット弾は値段が高いので縮小射撃装置を使ってロケットより安くつく7.5ミリのフランス軍正式のの小銃弾を使うのだ。僕はこの日も弾薬係を拝命された。射撃統制管の中尉の後ろのテーブルに座って射撃に使う弾薬の準備を始めた。今日はすごくいい天気だったのが災いした。徹夜での行軍が効いたのだろう。ポカポカ陽気の中、弾薬を数えながら何度も眠ってしまってその度に中尉に怒鳴られてハッと目を覚ます始末であった。射撃がどうにか終わり、テント村に着く頃にはなんとか元気が戻り、夕食前には軍曹と酒保に行ってビールを飲んだ。ただ、あまりにも疲れていたのだろう。晩飯の後の記憶はなかった。

 

1991年6月10日(月)

パルクール・ド・コンバッタン

 

1991年6月11日(火)

今日は分隊ごとに分かれて戦闘訓練をやった。

 

1991年6月12日(水)

突撃の時の分隊の隊形について練習した。そのあとは路上斥候の隊形で斥候の仕方を訓練した。その隊形のままテント村まで戻った。

 

1991年6月13日〜6月28日

記述なし。

 

1991年6月29日(土)

Raid Marche(新兵訓練最後の長距離行軍)に出発した。目的地はキャステルノダリーの第4外人連隊である。かなりの長距離に感じた。ただこの日、夕方6時過ぎ、軍曹の命令でトラックで3キロメートルほどキセルした。今まで歩いてきた行軍は数あれど、キセルするのは話には聞いた事はあっても実際のキセルは初めてであった。

 

1991年7月3日(水)

ついに連隊まで8キロメートルの所(連隊の後ろを流れるミディ運河)まで来た。そこは本日の宿営地であった。明日あと2時間も歩けば終着点だ。とタカをくくっていたけれど、そこで待っていたのは管理小隊のトラックで、なんと残り8キロメートルをゾディアックのゴムボートを漕いで行けという事であった。もちろん船外機などあるはずもなく、人力だ。ゾディアックのゴムボートは元の連隊にいた時の装備品でよく知っていた。だけどオールを使っての大変さも知っていた。おまけに小銃や背嚢も一緒でかなりの重さになる。分隊は2組に分かれて6人乗りのボート2隻に分かれた。

その晩はアレン軍曹と種類は忘れたけれど何かの強い酒を飲んで明日頑張ろうという事で長距離行軍ご苦労様会を早めではあったが楽しくやった。

 

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