B 225 新兵訓練伍長の終わり

1991年7月6日(土)

新兵が脱走。名前は書いていない。カステルノダリーの駅で隣の小隊のラニエー伍長と見張に着く。カステルノダリーの駅の側のカフェに陣取る。何も収穫なし。ラニエー伍長は僕と同じく第6外人工兵連隊のこれも同じ第3中隊出身で気心が知れていたのでこの監視任務は気が楽であった。

 

1991年7月7日(日)

朝に「今度はお前ら、ツールーズの駅で見張れ!」と言われたのでラニエー伍長と2人でツールーズの駅まで移動。駅までPolice Militaire(憲兵)の車両で移動した。普通自動車での移動だったので楽しかった。ラニエー伍長とまず駅のカフェに入りビールを注文。こんな時ぐらいしか「お街」でビールなんか飲む事なんか無いのでおかわりした。二人とも私服であった。時間は9時ぐらいだったような気がする。ラニエーが「ここにいても暇だから映画にでも行こうや。」といった。僕はPolice Militaire(憲兵)が見回りに来るのでは無いかと心配だったけれど、彼がそういうならばと思い2人で映画館へ向かった。

映画が終わって駅に戻る。なんというタイミング!当時Police Militaire(憲兵)の隊長のアンドレス上級軍曹が僕らのところへやって来たのだ。僕らは「特に異常はありません!」と報告して、アンドレス上級軍曹は帰って行った。彼は日曜日は日番なので私服姿であった。

夕方6時ごろPolice Militaire(憲兵)の上級伍長が「帰るぞ!」と迎えに来てくれたのでPolice Militaire(憲兵)の車で連隊に戻った。朝からビールを飲んで映画も見たし昼飯はレストランで普段よりいいものを食べて、なんだか監視任務というより一日休養であった。

 

1991年7月8日(月)

小隊は明日オバーニュへ行き連隊配置になる。なので今日はその荷物作りで忙しかった。

 

1991年7月9日(火)

小隊全員と中尉、アレン軍曹と僕は電車に乗りオバーニュにある第1外人連隊に向かった。僕がまだ連隊に配属になる前が思い出された。

 

1991年7月10日(水)

新兵たちは人事の中佐のオフィスに一人ずつ呼ばれて入って行き各連帯に配属になる。どういうわけか僕が一番最後に呼ばれた。人事の中佐との面接があった。なんと!連隊へ戻る許可をもらうことが出来た。そしてCertificat Militaire 1 Degré(通称C M -1=基本軍事訓練第1段階、いわゆる軍曹訓練コース)が9月にあって、それに行くことを知った・・・。

 

1991年7発11日(木)

新兵の配属先が決まっていき僕はその午前中、いろいろ書類を持って移動のためにたくさんの事務所を回った。明日いよいよ連帯に戻ることが出来るのだ。思えば伍長訓練コースを終わって以来8ヶ月に渡り新兵訓練伍長として第4外人連隊へ配属になって色々なことを覚えた。たくさんの思い出があった。いよいよ明日連隊へ戻ることが出来るのだ!

 

 

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