1991年4月28日(日)
朝からの雨降りに関わらず小隊対抗のスポーツ大会を行った。僕はバレーボールのチームを率いていて、なんと優勝してしまった。昼過ぎ、訓練所に戻って撤収の準備をした。カステルノダリーにある連隊まで戻りカメロン記念日の準備がまだたくさん残っていたので忙しかった。うちの小隊は、ケピ・ブランのための長距離行軍を完歩していなかったけれど、雨や雪の中頑張ったという事で、ケピ・ブランを授与出来るという事だった。
1991年4月29日(月)
朝から、明日のカメロン記念日のリハーサルをした。この日は外人部隊の記念日であり、多くの人たちが訪れる。新兵たちは明日のカメロン記念日の式典の最中に、ケピ・ブラン(白いケピ、外人部隊の象徴)の授与式が行われる事になったので動作の反復などで忙しかった。それが終わると、新兵たちは制服にアイロンをかけたり、半長靴を磨いたりと休むまも無いくらい天手古舞していた。
1991年4月30日(火)
10時にどっかの将軍が到着して式典が始まった。それから僕たちの小隊が、連隊が整列している営庭へと、隊歌を歌いながら出て行き、位置についた。FA-MASを持たないでのカメロンは初めてだ。普通、式典ではパレード用の制服に小銃携行するのだけれど、今日だけは違った。僕がいる小隊のケピ・ブラン授与のセレモニーがあるからだ。パレード用の制服ではなく普通の制服であったので非常に楽であった。
ケピ・ブランの授与式が終わると、各中隊による観閲行進があった。それらが終わり、小隊だけが集まり今度は小隊旗が中隊長から授与され、自由見学の時間となった。
小隊次席指揮官としてトルコ人のイルディリム上級軍曹の変わってやって来たフランス人のファーブル軍曹とドイツ人のヴェアーブロック伍長と3人で昼食をとり、僕は自分の部屋へ戻ってベッドに横になった。自分の連隊じゃないから仲間も少なく、あまり楽しい気分にはなれなかった・・・。
1991年5月1日(水)
この日はメーデーであるけれど、カメロン記念日なので多くの一般人も連帯の敷地内に入ることができる日だった。今日に限って中隊隊舎での飲酒は禁止事項ではあったが、僕は昼から中隊に配属になった日本人たちを集めて僕の部屋で飲んだ。上の階の小隊にはなんと日本人が5人もいた。散々飲んで寝てしまった僕は、なんとなく目が覚めてベッドの脇を見ると、なんと小隊長の中尉がいた・・・。ベランダにあったたくさんのビール瓶を見て中尉は怒ってしまい、さっさと部屋から出て行ってしまった・・・。明日はひどい事になりそうだ・・・。
読んでくれた人ありがとう
あとで写真を見たら、アレン軍曹は、良い天気でいい日差しの中、暖かくて気持ちがいいのか整列しているのに眠っていた・・・。