B 216 真新しい小隊

1990年2月28日(木)、3月1日(金)

新兵各自の装備品の返却、給料。

 

1990年3月2日(土)

日番伍長に就く。10名の親兵が何かしらの物品を無くしたりして中尉から報告書を出すように命令が下った。

午前中から取り掛かったにもかかわらず、10人のうち2人しかフランス語を書ける奴がいなくて、全て終わったのが明け方の4時近くだった。その日は警衛が入っているのに・・・。

 

1990年3月3日(日)

警衛。幸い日曜日なので一日中警衛詰所の中にいられ、午前中は仮眠をとることが出来た。いつもより楽ではあったが、イギリス人のアレン軍曹の風邪が酷く、見ていて気の毒であった・・・。

 

1990年3月4日(月)

小隊の武器の総手入れ。

 

1990年3月5日(火)

武器の点検、宿舎の掃除など。夜は小隊で簡単なパーティー。

 

1990年3月5日(水)〜 3月15日(金)

親兵達は連隊配属になるため一路おバーニュへ。僕は引率要員では無かったので休暇になった。

13日の夜、日本へ向けてホテルから長電話をしたおかげで所持金が底をつき、取り敢えず連隊に戻ったのだが、つくづく馬鹿な事をしたもんだ・・・。第3小隊のカイル伍長に金を借りたのだが、本当にものすごい電話料金であった・・・。

 

1990年3月18日(土)

週番伍長。

 

1990年3発25日

日番伍長。週番伍長がやっと終わったばかりなのに・・・。新兵達が続々と小隊にやってくる。

 

1990年4月2日(日)

新兵達の人数が揃ったので、第2中隊の訓練所であるLa・Jasse(ラ・ジャッス)へ出発した。僕はここの訓練所は初めてだ。どんな事になるのか・・・。真新しい小隊なので期待と不安で頭の中が一杯になった・・・。

同僚はドイツ人のヴェアーブロック伍長、第2外人落下傘連隊から来たタヒチ人のオペタ伍長、見習い伍長のポーランド人のドダ、ヴォイノフスキーの2人と僕であった。

 

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