B 213 たまの平穏な日々

1990年2月8日(金)

午前中は中尉の授業。午後は8キロTAP(8キロの距離を小銃、ヘルメット、背嚢などフル装備で走る)をやったが、疲れていて体がバラバラになりそうであった。伍長である自分は単に戦闘服で新兵達に付いて走るだけだったけれど、連日の寝不足と警衛明けだったので余計に疲れたのだった・・・。

 

1990年2月9日(土)

小隊はさまざまな勤務。この日は僕は何も勤務は無かった。おまけに日番伍長も終わりやっと一息つくことが出来た。新兵訓練の時に一緒だった第2外人歩兵連隊に配属になっていたフラトーと偶然会った。彼は衛生兵の資格を取るためにこの第4外人連隊に派遣されて来ていたのだ。夜は彼と中隊のクラブでビールを飲みながら色々と今までのことなどを話しながら楽しく過ごす事が出来た。

 

1990年2月10日(日)

何も無く久々にゆっくり出来た日だった。

 

1990年2月11日(月)

午前中は射撃。午後はパルクール・ド・コンバッタン(障害走)。僕は、運動禁止になっている兵士がFA-MASを手入れするのを監督した。

 

1990年2月12日(火)

ガード(警衛)。おまけに今日は外人部隊の司令官の将軍が来る日だと言うので大変だった。

 

1990年2月13日(水)

午前中は水泳の授業。午後は特に何もなし。

 

1990年2月14日(木)

午前中は、兵士たちの8キロTAPのテストであった。バレンタイン・デーとは縁もゆかりもない場所にいるのであった・・・。

 

1990年2月15日(金)

小隊は勤務。僕は何も無し。

 

1990年2月16日(土)

明日は演習場Caylus(ケイルス、フランス南西部)へ出発するのでその準備をしたり部屋を片付けたりした。午後は外出してスーパーなどへ行き演習に必要な物を買い込んだ。小隊最後の演習で、5日間かけて第4外人連隊のあるカステルノダリーへ歩いて戻る。長距離行軍であった。伍長ともなるとへばってなんかいられない。足の具合は少しは以前よりはいいようだ。ちゃんとした気持ちを持っていれば大丈夫だろうと思う。

僕がいる第2中隊に2人目の日本人志願兵が来た。日本での誤った情報のため、僕が色々と説明するのを驚きながら聞いていた。何人かの日本人はフランス語で挫折して日本へ帰ってしまったりしている。せっかくここまで来たのに全く残念だ。頑張ってほしいと思う。

 

読んでくれた人ありがとう

 

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