1990年2月1日(金)
小隊が演習から戻ってきたので午前中はFA-MASの手入れ。伍長ともなると、軍曹が点検する前に一応各銃を見てきちんと手入れされたか点検しなくてはならない。もう今は僕が手入れの具合を点検するのだ。どんな軍隊でもまず銃口内はきちんと掃除して綺麗に手入れをしなくてはならない。外人部隊では尚更点検が厳しい。すでに新兵訓練の4ヶ月のうち3ヶ月が終わろうとしているのにまともな手入れが出来ていないので何度もやり直しをさせた。
1990年2月2日(土)
午前中、中隊長から「伍長」の階級章を受け取り、晴れて正式に伍長になった。それから連隊長の話を色々と聞いた。それだけで午前中が終わってしまった。新しい「伍長」の階級章を制服の袖へ縫い付けるので忙しかった。なぜなら午後は「外出」がある。カステルノダリーの街へ小隊で外出するという仕事があったからだ。初めての外出で新兵たちはまごついていた。僕も以前はこうだったから彼らの気持ちがよくわかった。
外出は午後の14時から18時までだったけれど、みんなよく飲み基地へ戻った。皆酔っているので点呼の時間まで寝かせた。しかし何人かが口論を始めたり殴り合いの喧嘩を始めたり収拾がつかなくなりそうであったけれど、イギリス人のアレン軍曹が一気に爆発して静かになった・・・。
1990年2月3日(日)
昨夜点呼の後、アレン軍曹、ヴェアーブロック伍長、新兵のサッター、ムィノの4人が外出。新兵は無断外出だ。すかさず中尉のところに報告が行き中尉はヴェアーブロック、サッター、ムィノを有無を言わさず殴りつけた。
ヴェアーブロックの顔は見事に膨れ上がり営倉行きになるという事だ。
見習い伍長のギュライが日番伍長で、夜は新兵達を酒保に連れて行ったのだが、昨夜の無断外出、今夜の酒保と少し新兵達を甘やかしているので中尉は機嫌が悪い・・・。
1990年2月4日(月)
射撃。なぜか僕は中に呼ばれて弾薬係をする事になった。他の伍長連中は外で何かしら授業をしている。射撃場の中は暖房が入っていて暖かいので助かった。だが、昨日の見習い伍長のギュライの行動が災いして僕がいきなり日番伍長をする事になった。午後はパルクール・ド・コンバッタンで、少し暖かい日だったので僕もやってみる事にした。伍長訓練コースにいた時よりいいタイムが出た。
疲れていても日番伍長は消灯まで休めないのでなかなか大変だった・・・。
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