西アフリカ日記

今回の契約は、いつも通りアフリカの紛争地で平和維持をしている軍の兵士達を紛争地へ出発前に訓練すると言うものだった。この国は4度目だ。前回2度は、フランス外人部隊を2007年に除隊してすぐ、「日本地雷処理を支援する会」という日本のNPOにいた時と、3度目は、今の会社で2012年に来た事があった。だだ今回は短く2週間と言う事だった。教えるのは「武器庫当番」(Armurier)であった。今まで誰も教えた事が無い科目であった。そう言うのは大体「Kawa」に回ってくるのだった。ただ今回は、僕が信頼している「ルイジ」がシニア・トレーナーという役職で僕と一緒の講義もするという事だった。今回の旅はブリュッセル航空パリ発ベルギーで乗り換え、現地着というものだった。コロナ禍になってからPCR検査だったり、移動証明、ヴィザなど、書類が何枚も必要だった。出発が早いので、パリのシャルル・ド・ゴール空港のホテルで一泊する事にした。前回もこのホテルを使ったのだけれど、今回は規制が緩和されていて、ホテルのバーはテラス席が開いていて混んでいた。ホテルに着いたのはちょうど夕食前だったので、荷物を部屋に置いてから急いでバーへ直行した。

 

僕は現役の頃にいた中隊で「射撃・武器・弾薬」担当下士官(Sous-officier TAM=Tir・Armement・Munition)を長く務めており、その経験が今回は役に立った。

 

「武器庫当番」というのは、ただ単に銃の数を数えていればいいと思うかもしれないが、そんな事は無い。武器庫では、収納されている銃のメインテナンス、全ての物品の数を数える事や付属品の管理、銃身へのオイル塗布、部品交換、弾倉の状態、などなど、いろいろとやる事がいっぱいある。おまけにここの軍では射撃の時は「弾薬係」も兼任するという事らしい。「どこそこの小隊のなんという武器の部品を交換しろ!」と上官に言われた時、武器庫当番は全ての支給されている武器に精通していなければならない。それらを分解・組み立て(自衛隊では分解・結合と言ったかな???)出来なければならない。部品名も知らなくてはならない。正式小銃だけならまだしも、軽機関銃、数種類の重機関銃、携帯式対戦車ロケット砲、迫撃砲などだ。おまけにロシア製なので、僕は西側の武器はそれなりに知っているけれど、東側の武器については、正式小銃の「AK47」と「PKM(軽機関銃)」ぐらいしか知らない。でもなんとかするしかない。

また、武器庫に入る事が出来るのは限られた人物しか入る事はできない。最低でも武器庫内で寝泊まりする人数や、入室許可、そういう規則を含めてフランス軍を基本に習っている彼らを訓練するのはそんなに大変では無いだろう。

「武器庫当番」というのは最低でも3人はいる。飯は一人づつ交代で食堂へ行く。残りの2人は3人目が戻ってきてから一人づつ食堂へ行く。武器庫の中にトイレ、シャワー、洗面所、ベッドなどが完備されているので外に出る必要は無い。なぜ3人かというと、もし2人しかいない場合、1人が食事でいない時に残りの一人がもし具合が悪くなって倒れたりしたら、鍵のかかっている武器庫へ具合の悪い一人しかいなかったら入る事が出来ないからだ。医務室へ通報も出来ない。なので3人必要なのだ。また、金銭問題があるやつや、飲んだくれ、喧嘩っ早いやつなど、勤務態度が悪い奴は「武器庫当番」には絶対にならせてはいけないのだ。なので新兵などは絶対に「武器庫当番」には指名される事はない。経験が浅いからだ。勤務良好で「武器庫当番」として初めて指名されるのだ!

また、銃を受け取ったらそれが誰のものであれ、必ず「薬室」を点検するよう徹底させた。軽機関銃でもだ。いくら仲の良い同僚の銃でも、彼がクソをしに行く時、「俺の銃を預かってくれ!」と言われる事があるかもしれない。そんな時でも、まず弾倉を外し、薬室を必ず点検しなければならない。それを怠ると思わぬ怪我の元になる。戦闘以外の怪我や病気は軍には必要ない。だから安全点検は徹底させた。

こうして2週間はあっという間に過ぎた。帰りの飛行機に乗る前にもう一度PCR検査をして証明書をプリントアウトして空港へ向かったのは17時過ぎ。飛行機は20時30分だった。ここの検査は沢山あるのは知っていたから早めに空港へ向かったのだ。案の定、スーツケースの検査のため名前を呼ばれたり、飛行機に乗ったら、前の座席の背中についている液晶画面が動かなかったり一悶着あったが何とかブリュッセルへ向けて離陸出来た。ブリュッセルで乗り換え位のために長い通路を歩いて今度はパリ(フランス)へ向けて出発した。パリに着いたはいいけれど、スーツケースが出てこない。帰りの電車まで20分を切ったところで、手荷物管理のカウンターへ行った。「もう1時間も荷物を待っているけれど、何も出てこないぞ!」と文句を言った。そうしたら僕ら乗客がいる「5番」ではなく隣です!と抜かしやがった。だったらそれを早く言えよ!と文句を言った。僕のスーツケースは既に出て来ており、ぐるぐる回っていたのだ!

電車に遅れる!案の定乗る電車に遅れてしまい、SNCF(フランス鉄道)のカウンターで乗り換えはまだ間に合うから次の電車にしたよ!と新しい乗車券を発行してくれた。

新しい電車に乗って空港の次の駅で乗り換えた。次はアヴィニョンだ。

15時半ごろアヴィニョンへ到着。ブリュッセル空港もパリのシャルル・ド・ゴール空港もメートル単位ではなくおそらくキロ単位で歩かされたので膝が痛くて仕方がなかった・・・。アヴィニョンの駅には大家さんが待っていてくれた。これでもう安心だ。17時前にアパート到着。その日は何もやる気が起きなくて、ただ、久々のハイボールだけはしっかりと作って2杯ほど飲んで寝る事にした。明日は久しぶりに目覚ましをかけないでゆっくり起きよう・・・。

 

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