B202 2度目のクリスマス

1990年12月23日(日)

食堂当番

 

1990年12月24日(月)

今朝は第4外人連隊の新しい方の基地でクリスマスのスポーツ大会の表彰式があった。僕らがいる中隊(Compagnie d’Instruction des Cadres=CIC=指導者教育中隊=軍曹・伍長訓練中隊)は沢山のトロフィーをもらった。その後は今夜のクリスマス夕食会の準備をした。僕はカノア軍曹と何度もリハーサルをした。しかしまだ完璧ではないので酷い事になりそうだ・・・。夜21ごろ、各訓練小隊の出し物でクリスマスの夕食会が始まった。出し物は他愛も無い事だったりみんな知っている中隊に関する寸劇などで、出し物の間に僕とカノア軍曹が演奏した。中々上手く行って少し余裕が出てきた。どうにか全て上手く行って夕食となった。昨年と違いゆっくりと味わう事が出来た。去年は下っ端だったので食べている暇がなかったからだ。

連隊長の訪問を受け盛り上がった所で夕食会は終わった。中々楽しかった・・・。何時なのか覚えていないけれど、食事を終え僕らはカステルノダリーの中心街にある基地へ戻った・・・。

 

1990年12月25日(火)

昼食は新しい基地なので、またトラックで新しい方の基地へ移動した。日本人志願者がいたので彼と話をした。僕も以前は彼の様だったなぁと思い、少し懐かしい思いをした。

 

1990年12月26日〜30日

今年最後の演習だった。色々と筆記テストをやったり戦闘指揮の訓練をした。28日午後15時行軍開始。夜中の2時に射撃場へ到着。足の状態が悪く、明日に控えているカステルノダリーまでの行軍は酷い事になりそうだ・・・。

29日15時ごろ行軍開始。足が酷く痛みだし大変だった。レイ曹長の歩くペースは早く、離されては走って追い付くと言った具合だった。—カステルノダリーへ続く運河(Canal du Midi)へ出た。連隊まであと16キロと言う事だった。

第2外人落下傘連隊から来ているイタリア人のマルティネリが僕のそばにいてくれて随分と励ましてくれたので何とか無事に歩き終える事が出来た。

日記帳の隅にその当時のテストの結果が載っていた。NBC=3,5/20、Trans(無線)=17,5/20、Rens(識別)=20/20と書いてある。NBCはひどい点数だった。

新兵訓練の時一緒だった第2外人歩兵連隊に配属になったフランス人のティモンも僕を引っ張ってくれた。いい仲間に囲まれて、やっとの思いでカステルノダリーに着いた。午前2時過ぎの事であった・・・。

 

 

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