B190 電池を忘れるな!!!

1990年9月1日(土)

仲のいいマダガスカル人のマナンツァラとアヴィニョンへ外出。この時コニカのカメラを買う。中央アフリカへはMINOXのカメラをどこかで手に入れて持っていった。フィルム6本ぐらい撮った筈だけれど、カメラのことは全く知らない僕は、カメラ本体の電池が無くなっていたと言う事まで知恵が回らず、フィルム全部を無駄にした。だから4ヶ月のアフリカの記録は、無い・・・。

今回はどんな電池か、どこで買えるかなどをちゃんと店員に聞いてちゃんと使える様にした。フィルムも何本か買って、次回何かの時はすぐ写真を撮る事が出来る様に準備した。予備の電池とフィルムを何本か一緒に購入した。夜は、昔行った事があったベトナム料理店へマナンツァラと行って食事をした。

 

1990年9月2日(日)

明日月曜から4日間の行軍の訓練に出かけると言うので久々に背嚢などを準備した。もちろんカメラも忘れない。背嚢の中に入れようとして考えを改める。写真を撮りたい時になって一々止まるわけにはいかない。出発前になったらカメラは首から下げていこうと思った。

 

1990年9月3日(月)

トラックに乗り昼過ぎまで走って、昼食後行軍を開始した。あちこちキャンピングカーやテントのカラフルな色が目についた。

小隊に新しく来たイギール軍曹が僕らの分隊長だ。元第2外人落下傘連隊にいて最近軍曹になったばかりだと言う。第2外人落下傘連隊では、イラクで亡くなったサイトウさんの下で伍長だったと言う事だ。サイトウ軍曹は、朝のスポーツが終わると自分の分隊を集めて太陽の方へ向かって整列させて「テンノウヘイカー、バンザーイ!」とやるのが習慣になっていたそうで、イギール軍曹は何かあると僕に向かって「テンノウヘイカー、バンザーイ!」と言うのであった。何だか可笑しかったし、親切であった。

グループは、最近伍長訓練学校から戻ってきたドレゼ伍長、マナンツァラの昔からの知り合いだと言うマダガスカル人のペリツァラ、僕の4人であった。もう1つのグループは中尉が率いていた。

歩いているコースは南フランスのアルデッシュ(Ardèche)と言う所の近くらしい。景色はいいけれど、すぐ登りになったのであっという間に汗だくになった。まだ9月の初めで、まだ真夏である。ハイキングコースらしく岩にいろいろな印があった。軍曹は僕らに地図を交代で持たせて歩かせた。途中止まっては地図を地形を見てそれを僕らに教えてくれた。この時が本格的に地図を見ながらの行軍で、先頭になって最初に歩いた時はビビったけれど、よく地図を見て地形を見て、とやっているうちに慣れてきた。ドレゼは伍長になったばかりなので時々軍曹から鋭い質問を受けていた。みんなで交代で地図を持ち先頭に立ちながら、どうやら今夜の宿営地についた。距離としては15キロぐらいか???河の側だったので急いで飛び込み体を洗った。

 

1990年9月4日(火)

8時過ぎに出発。今日は広めの観光ルートを歩いた。と思ったのは最初で、そのうち絶壁の間を登ったり降りたり、河に落ちそうなところにはチェーンがついていてそれを頼りに進んだりなかなか面白かった。本当にこんなところ、民間人が通るのかよ!と思った。昼食の前、道を間違えたらしく河を渡る羽目になってしまった。腰まで水に浸かり渡ってどうにか道に出た。17時ごろ宿営地についた。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

最初からお読みいただく場合は、ホームページの「検索」のところに「B001」と入れていただくと一番最初が表示されます。以下、「Bxxx」という風に番号を入れていただけると任意のページが表示されます。

例、「B037」、「B156」など。