1990年7月27日(金)
今日は車両の他にいろいろな小隊の備品の点検だった。もうすぐここを離れるからだ。午後は雨が降って来たので、ほとんど仕事はなかった。夜、小隊の送別会が開かれて、ここの基地の大佐や、主だった部署の長の士官や下士官があつまって凄い人数だった。しかし僕はひどく腹が空いていて「早く終わんねぇかなぁ・・・」とばかり考えていた。
1990年7月28日(土)
一日中個人の荷物作りだったので、あっという間に出来上がってしまって暇であった。朝集合して、その後すぐ荷物作りを始めたので9時前にはほとんど終わってしまった。暇なので寝て過ごした。夜は小隊のクラブでビールを飲みながらみんなとビデオを見て過ごした。
1990年7月29日(日)
いつも通りの日曜日。夕食の段取りが悪く準備に手間取った・・・。19時に集合がかかった。部隊と連帯のマークが入った「壁」の前に整列して中尉から一人一人にアフリカで4ヶ月みんな頑張ったと言う事で記念のジッポー・ライターが手渡された。1932年のレプリカ製で、それぞれ各自の名前とアフリカ大陸のデザインが彫ってあった。とても嬉しかった。みんな何度もカチャカチャ蓋を開け閉めしていた。今も大事にとってある。
それが終わると夕食だった。明日は首都の「バングィ」に出発する。そして明後日はいよいよフランスだ!
1990年7月30日(月)
朝の集合のあと部屋の掃除をしてロッカーを空にした。個人の荷物も全てまとめて、暇だったので久々にドミノをして暇を潰した。なんだかんだで夕方になってしまった。輸送班のところに全ての荷物を持って行って、夕食後、運動着に雑嚢で集合し、飛行場へ向かった。たっぷり1時間は待たされて、やっとトランザル(C -160、フランス軍の一般的な輸送機)に乗り込んだ。アセンカオ伍長は雑嚢に密かにビールを持ち込んでいて、離陸してからしばらくして「プシッ」とキャップをひねりうまそうに飲んでいるのを見て、僕もやろうとしたけれど持ってこなかったのでひどく後悔した・・・。
22時ごろ首都の「バングィ」に到着。今夜だけの簡易宿舎に落ち着いた。明日はいよいよフランスだ・・・。
1990年7月31日(火)
朝食後すぐ空港へ向かった。ここでもたっぷり待たされた。9時ぐらいに離陸をした。一緒に乗っている正規軍の何人かは離陸と同時に歓声をあげたけれど、僕はそれほどの感動はなかった。何しろ窓の外はまだアフリカの大地しか見えない・・・。飛行機の中ではなぜかほとんど眠る事が出来なかった。地中海上空を飛んでいる時になって初めて感動がこみ上げて来た。
マルセイユの北にある軍の飛行場がある「イストルIstre」に到着した。空港には中隊長もいた。荷物を待つ間、用意されていた冷たい飲み物で無事の帰国を祝った。そして荷物を受け取りバスに乗り込んで連隊に戻った。ついに帰国したのだ。
中隊は、7月14日の革命記念日のシャンゼリゼでの行進に参加すると言うのでそれ前に帰国すると言う噂が出ていて僕は楽しみにしていたのだけれど、それも流れて、気がついたら7月末になってしまっていた。小隊のほとんども休暇でいなくてせっかく戻ったのに少し寂しかったのを覚えている。
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