アフリカ中西部日記 最終回

金曜日。最終日だ。装甲車に乗るのも最終日。今日はルイジの出発日なので彼とはホテルのパーキングが最後だった。ルイジは今回の訓練では誰もやりたがらないアドミの仕事を引き受けていた。毎日ウエスタン・ユニオンへ行って現金を下ろして訓練で必要な色々な物を買いに行ったり、時にはビールまで買って来てくれたりする。ホテルの支払いや、運転手付きのレンタカーの支払い、「PCR検査」の予約、それらのレシートをスキャンして報告書に載せたりと、話を聞くたびにウンザリさせられる・・・。しかしこの仕事仲間のうちで一番仲がいいのは確かだ。お互いの住んでいる所、家族の事などいつも話は尽きない。彼も外人部隊出身だけれど、その前は正規軍の下士官で「ミラン対戦車ミサイル」のスペシャリストであった。なので外人部隊では伍長時代に下士官の代わりにその講義やアフガニスタンでは分隊長である軍曹顔負けの仕事をしたらしい。彼とはもう何度も仕事をした事があるので僕は信頼していた。今回も相変わらず沢山笑わせてもらったし、大体一緒に飲むのはルイジ以外考えられなかった。色々と僕の知らない事を知っているので、この会社の仕組みや色々と教えてもらって世話になった。除隊しなかったら外人部隊でも下士官になっていた筈だ。

 

毎朝ルイジは訓練に行く僕らをホテルのパーキングまで見送りに来てくれる。車の鍵を預かっているからだが、朝5時の朝食時には既に起きて僕らの体温と、なんと言うのかは知らないが、血液中の酸素の量を測る、指に填めるやつを持って来る。なので彼も僕ら同様に早寝早起きをしていた。その彼は今日出発する。彼はタイに住んでおり、色々とタイの生活について教えてくれた。でもその彼はコロナのせいで空港が閉まっているのでタイに戻る事が出来ないので、取り敢えずトルコにいる友人宅へ行くと言うことを会社に伝えて、バンコクの空港が開くまでイスタンブール〜バンコクのオープン・チケットにしてもらったらしい。僕は「トヨタ」のSUVに乗り込んで、「気をつけて帰る事ができる様祈っているよ!」と言い傍にいるルイジと固く握手をした。次にルイジと会うのは別の仕事の時だ。SNSで繋がっているので、お互い近況を知らせ合うのはわかっている。さらばルイジ!

 

Suvは出発した。今は20分ほどで憲兵隊の検問所へ着いた。装甲車はすでに待っている。いつも大体6時過ぎぐらいに到着する。急いで乗り込む。訓練始めは2台だったのが今は5人しか乗らないので1台になっていた。僕は乗り込んですぐ「ウォークマン」を取り出し耳にはめる。曲は80年代や90年代の日本の歌ばかりだ。フランスへ行ってからの曲は知らないせいだ。その他に最近YouTubeとかで覚えた曲も入れていた。大体20曲ぐらいだ。ひと回り半ぐらいで訓練キャンプへ着く。

 

いつも通り司令部の建物の中にある僕らのオフィスへ向かう。僕は今日は手ぶらだった。でも、式典の最中に喉が乾く筈なのでオフィスにストックしている水のボトルを一本取って左のカーゴポケットへ入れた。そうしてから練兵場へ向かった。そこへ向かう間「KAWA!」「KAWA!」とあちこちから兵士達に声をかけられた。この大隊で僕を知らない兵士はいない。同僚の話では、僕がマラリアで寝込んでいる時に「KAWAはどうした???」と散々声を掛けられたらしい。僕の授業は特別らしく、一度僕の授業を受けると兵士達は必ず僕の事を覚えてくれた。そう言う事はこの仕事でとても大切だった。兵士達の信頼を勝ち取らないとこう言う仕事は出来ないのだ。その点僕は東アフリカの紛争地での経験が物を言ったし、彼らが展開する西アフリカの紛争地の経験もあったのである程度楽であった。おまけにフランス軍の教範を使っている彼らには、わからない事があれば「KAWA」に聞けば答えてくれると言うなんだかわからない信頼を持っていると言うのが伝わって来るのだった。確かに質問されたことには必ず答えたし、紛争地での経験を話すとみんな真剣に聞いてくれた。休憩に入る前に必ず「俺の腕時計は何時何分だ!休憩は何時何分までだ!」と言うのが浸透して、兵士達の口癖になっていたほどだった。教える方もそれなりの強いキャラクターでないとこの仕事は務まらない。そう言う事は、外人部隊で新兵訓練担当軍曹の時に覚えた物だった。

式典が行われる練兵場に着いて驚いた。実際こんなに兵士が揃ったのは初めて見た。いつもの授業だと必ず何人かが欠けている。僕らは端の方の来賓達の席に陣取った。8時過ぎで、式典は9時からと言うのに大隊の兵士はすでに整列していた。外人部隊でもそんなに早くは並ばなかった様な気がする。

 

9時15分前ぐらいにやっとアメリカ大使や(うちの会社はアメリカの会社)軍の偉い人たち、ここの訓練場がある町の市長や県の知事などがやって来た。ほぼ全員「トヨタ」のランドクルーザーでシルバーやゴールド、白、濃紺など色々な「トヨタのランクル」を見られた。ヘリでやって来たのは「国防大臣」だろう。大隊副官が気を付けをかける。大隊長はすでに紛争地へ向かっていない。軍司令官へ大隊集合を報告する。国防大臣が傍にいる。大隊閲兵が終わると大使などのスピーチが始まった。今朝は3時に目が覚めた僕は前から2列目だったけれど、危うく眠り込みそうになった・・・。

スピーチが終わると、僕らに記念品贈呈があった。ジェフを先頭に歩調を揃えてみんなの前へ出る。そこでは軍の司令官から一人一人記念品を受け取った。自分たちの席へ戻るため「右向け右」をした時に、兵士たちが見ているのは知っていたので、小さくガッツ・ポーズをした。並んでいる兵士たちの間から「KAWA!」「KAWA!」と歓声が起こった。思わず笑いが込み上げた瞬間であった・・・。

僕らが席に戻ってから全員で記念写真を撮った。それが終わると飲み物のあるところへ移動するのだったけれど、兵士たちが写真を一緒に撮りたいと言ってもみくちゃにされた・・・。20分ぐらいそうやって何人もの兵士達と写真を撮って飲み物のある(筈だった)テーブルに向かおうとすると、すでに何も残っていなかった・・・。仕方なくシェリフと席に戻って持って来たボトルの水を飲んだ・・・。

 

式典が終わりオフィスへ戻った。パーキングに帰りの装甲車がやって来た。急いで乗り込む。エスコートのピックアップも準備が出来ている。そして訓練キャンプを後にした・・・。

 

ホテルへ着いたのは12時半ごろか???午後は荷物をスーツケースへ詰めなければならない。それに個人で注文した食事などの支払いもある。それらを2時間ほどで済ませ、夕食の注文をしにレストランへ行った。現金に余裕があったので、ボーイ達にチップをはずんだ。部屋に戻って荷物を詰めていると、ホテルのマネージャーがやって来た。彼には部屋の移動や色々世話になった。もうすぐ男の子が生まれると言う事で、彼には10000CFAフラン(日本円で約1800円ぐらい)のチップを渡した。ものすごく喜んでくれた。日本円で1万円ぐらいの感覚か???おまけに先ほど受け取った記念品の梱包用の段ボールやテープなどを持って来て包装を手伝ってくれたおかげで無事フランスへ持って帰る事が出来た。ジェフは、チームのWhatsAppに、粉々になった贈り物のガラスの写真をアップしていたのでマネージャーに感謝だった・・・。

 

ジェフと同僚のゴチエと僕の3人が今夜トルコ航空の便で出発する。ダヴィッドとシェリフは明日だった。明け方4時の飛行機なので、ホテル出発は夜中の1時半だとジェフが言った。夕食は18時に注文していたので、夕食後に寝るために、荷物は完璧に詰め終わってあとは時間を潰すだけになった。17時過ぎごろから冷蔵庫に取っておいた最後のビール2本をゆっくり飲み始めた。チキンサンドイッチを2つ頼んでいた。1つは今、もう1つは出発前に食べようと思ったけれど、お腹が空いていたし2つ共食べてしまった・・・。目覚ましは0時に掛けたので、食べ終わってタバコを吸ってベッドに入った・・・。

 

0時に目覚ましが鳴ってスカッと目が覚めた。寝覚めのコークを飲んで一服しようとプールサイドへ行った。荷物はいつでも移動できる様すでに出来ている。一時すぎゴチエとジェフがフロントに集まって来たのが見えたのでフロントへ向かう。ちょっと早いけれど、空港へ向けて出発する事になった。

スーツケースがあるので2台に分乗して空港へ向かった。チェックインはすんなりいった。アフリカの空港にしては手際が良かった。おまけにここの空港はまだ新しくなってから1年ちょっとしか経っていなくて非常に綺麗で良かった。荷物検査や出国審査もすんなり抜ける事が出来て、待合室へすぐに辿り着いた。左奥に「喫煙所」があるのをゴチエが見つけてくれたので、まずそこへ向かって一服した。ゴチエはガラガラのバーのカウンターへ向かった様だった。ジェフは姿が見えなかったので元大佐だし、ファーストクラスのラウンジにでもいるのかなぁ・・・。タバコを吸い終わってバーのカウンターにいるゴチエの隣へ座った。彼は新鮮な「オレンジジュース」を頼んで満足している様だった。彼には現役の時にどこかで会った事があった。コソボだったか???僕は「ペリエ」を注文した。遠くを見るとジェフがポツンと一人で座っていた。余計な出費を控えようと言うことか???ホテルのマネージャーの話してくれたところによると、アメリカ人でチップをくれた人はほとんどいなかったと言う事だ。前のホテルでもそう言われた。なんと言う事だ!アフリカのホテルで快適に過ごすにはチップが必要なのは僕は知っていたので、レストランのボーイや要所にはチップをはずんできた。今回も毎日部屋のシーツを代えてくたり、仕事が終わって部屋に帰ると掃除は済んでいて、全て真新しくて色々と快適であった。

ゴチエとくだらない話をしている内に登場アナウンスが流れたので搭乗口へ向かった。今までのアフリカの仕事でこれだけスムーズに進んだ事はなかったので、僕は綺麗な空港、喫煙所を含めて中々感心していた。

飛行機に乗り込む。非常口の所で僕一人だった。行き先はトルコのイスタンブールだ。そこで3時間半の乗り換えの待ち時間があって、その後はパリだ。イスタンブールではネット環境が悪いし、少し落ち着きたいので、有料のラウンジを使う予定だった。機内食はコロナのせいで、紙袋に入ったサンドイッチ、ケーキ、パックの小さいジュース、小さい水のボトルなのは知っていた。「またかぁ・・・」と思っていたけれど、その通りだった。機内食は楽しみの1つなのだが、「コロナの野郎め・・・」。

飛行の最中何気なく窓際へ寄って外を眺めた。前の座席の背もたれについている小さいスクリーンを見た。飛行機に乗る時にはいつも地図を写す様にしている。ちょうど「チュニス」の東を飛んでいる。その南側に「アフリカ大陸」が見えた。今正にアフリカ大陸から出ようとしているのが窓からはっきりと見えた。アフリカ大陸とこれでおさらばだ!次はいつになるのか・・・。

 

なんとかイスタンブールへ到着した。新しい方のターミナルだ。まず免税店へ行って「KENT」の細い吸い慣れているタバコを買う。それから空港職員のいるカウンターで「メンバーじゃないけれど使えるラウンジはあるか???」と聞いた。久々の英語だったので心配だったけれどなんとか通じた様だ。

2階のフードコートを抜けてすぐラウンジに着いた。料金は47ユーロだった。2012年ごろは50ユーロとられた記憶がある。カードで支払いを済ませ、紙に色々と記入してインターネットのパスワードをもらい

ラウンジの人となった。食事はまぁまぁだった。サンドイッチなど食べながらコークを2本ほど飲んで、14時から表示される搭乗口の案内を見て確認して搭乗口の待合室へ向かった・・・。

 

搭乗する時に体温を測られただけで簡単に搭乗出来た。マスクや消毒液など色々入ったパックを受け取る。パリまで約4時間。食事は相変わらず紙袋1つのやつだった。

 

パリ到着。搭乗口から出て長い通路を進む。空港の建物に入ると、PCR検査の神を見せる様に言われた。僕たちはルイジのおかげで出発前に検査を受けてちゃんと検査結果陰性の紙を持っていた。なので、通過OKのシールをパスポートに貼ってもらいすぐに入国審査へ向かうことが出来たけれど、そうでない乗客は検査レーンへ回された。ルイジ、ありがとう!

 

入国審査をあっさり抜けてスーツケースを取りに向かった。僕のスーツケースはすぐに出て来た。そこからCDGVALというターミナル間移動の電車を見つけてそれに乗る。第3ターミナルで降りて今夜の寝床であるホテル「IBIS」へ向かう。

 

ホテルでは8月の出発より規制が厳しくなっていて、ロビーのソファーや食堂の椅子は使えなくなっていた!なので、せっかくバーで買ったビールなど、わざわざ自分の部屋まで持っていかないとダメになっていた。ビール500ミリ入ったカップを両手に持ちながらエレベーターに乗って自室に戻るのは大変であった。O3(オッサン)がビールのカップを両手に持ってカードキーを使って部屋のドアを開けるのは滑稽だったに違いない・・・。その後も食事用にサラダやハムのサンドイッチ、ワインを購入したけれど、今度は紙袋をもらったので安心だったのだ・・・。

 

翌朝11月1日はすべての聖人の日だったし日曜なので、目覚ましは6時半にかけた。電車は8時半だ。にもかかわらず、毎日4時起きだったせいで5時には起きてしまった。ホテル内は禁煙なので、ホテル入り口前の喫煙所へ向かった。朝食は6時という事で、まだ5時半ぐらいで時間が早かったけれど、フロントの青年が親切で、僕が朝食を予約していたのを確認すると、コーヒーを飲むのを許してくれた。一旦部屋に戻りコーヒーを飲む。6時キッカリに朝食へ向かった。昨夜同様、朝食は自分の部屋へ持っていって食べなければならなかった。ハムなどすべてパックに入っていて、物足りなかった。何しろここ2ヶ月、昼食抜きの訓練だったので、朝飯はガッツで食べる様になっていた僕は全然足りなかった・・・。

 

7時過ぎ、再びCDGVALで第2ターミナルへ向かう。今度は空港の駅だ。駅のホームで本来禁止されているのだけれど一服して電車を待った。程なく電車は来た。次はいよいよアヴィニョンだ。重たいスーツケースを入り口付近に置いて自分の座席へ向かった。発車する。時間通りに発車した旨、迎えに来てくれる大家さんへSMSを送る。すぐ返事が来た。ここまでは順調だ!寝過ごさない様にアヴィニョン到着5分前に目覚ましがなる様に携帯をセットした。窓の外を流れる景色を見て「今回もやっと仕事が終わった・・・」とぼんやり考えていた・・・。

 

読んでくれた人ありがとう

 

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