1990年7月16日(月)
今朝は8キロの駆け足だったけれど、いつもよりゆっくりだったので楽であったけれど、その後のロープ上りで左手にマメを作ってしまった。つまんない事になっちゃったなぁ・・・。
宿舎の前のバレーコートの横に、幅8メーター、高さ1,8メーター、厚さ60センチの記念の壁を作ることになった。セメントはあり、無いのは石だけなので、以前作業した石切場へそれに必要な石を取りに行った。
午後は早速土台を作る作業が始まった。昼食の後ルアール伍長とゆっくり話す時間があった。それぞれの連隊について色々と話をした。別れ際に住所を交換した。僕が「フランス語で手紙なんか書いたことはないし難しいだろうなぁ」と言うと、「日本語で大丈夫だ!カトウがいるからな!」との事だった。最初何の事を言っているのか分からなかったが、話を聞いているうちにピンと来た。新兵訓練の時に隣の中隊にいた、ルアール伍長と同期のカトウさんも第2外人落下傘連隊に配属になっていたのだった。「必ず手紙書きます!」と言って別れた。第4外人連隊の新兵訓練で一緒だったイギリス人のネイピエとも連絡が取れそうでなんか安心した。
1990年7月17日(火)
朝から爆薬の訓練をするために、以前ウベール軍曹と出掛けた事がある少し離れた山の方へ向かった。古いストックの爆薬の処理も兼ねているらしかった。それと同時に騎兵中隊の古い90ミリ発煙砲弾の処理もあった。砲弾は弾頭も薬莢も全てピカピカ光っていて、これが本当に古い砲弾なのか???と思うぐらいだった。
一日中プラスチック爆薬の作業だった。プラスチック爆薬はテレビや映画だと粘度を使っているからだろうけれど、フランス軍の採用しているPLANPという500gのプラスチック爆薬は、テレビの、粘土みたいにすぐこねることは出来ないやつで、おまけに湿った砂糖の様でベタベタした。それに加えて導爆線を使う時に滑ってしまい何度もやり直しをしなければならなくてきつく結ぶのが難しく、作業するのが大変であった。
爆破する場所は山奥に何度も爆破作業をやった所らしく沢山クレーターがあった。待避所から500メーターぐらいか???そこから一人2発ずつ90ミリ砲弾を両肩に乗せてクレーターへ向かう。砲弾をクレーターの中心へ向けて扇状に並べてゆく。各自に500グラムのプラスチックが渡される。僕らはその「硬い」プラスチック爆薬を少し手でこねくり回して柔らかくして砲弾の信管付近へ取り付ける。そして導爆線を取り付けて、最後に中尉から指名された奴が信管を取り付ける。僕も指名された。電気信管なので、信管のワイヤーを爆破用に準備してあるケーブルに繋ぐ。中尉がそれらを確認して待避所に戻る。待避所に戻ると、専用の器具で全てちゃんとつながっているかを確認した後、爆破装置に繋げと言われる。爆破装置はハンドルをグイッと回せば電気が流れるやつだ。ハンドルだけは中尉が持っている。全てよしとなるとハンドルを受け取り爆破装置へ取り付ける。「3、2、1で爆破だ!」と言われ、それを復唱する。「3、2、1、爆破!」グリっっとハンドルをひねる。「ドーン!」たったこれだけだったが、砲弾の数が多いので、みんなで何往復したのかは覚えていない。最初のうちは「久々の爆破作業だぜ!」とみんなウキウキしていたけれど、それも3回目ぐらいまでで、それ以降誰も無駄口を叩く奴がいなくなってそれがなんだか可笑しかった・・・。最後の方は僕も無口になりただただくたびれた1日であった・・・。
それに帰り道は来た時同様凸凹道でトラックの硬い座席に何度も尻を打ちまったく疲れた。金曜日まで古くなった弾薬の処理があるらしいという事だった。もちろん昼寝の時間などある筈も無く、今週はキツそうだなとみんなで話していた・・・。
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