アフリカ中西部日記 7

マラリアのおかげで1週間寝たきりを体験したのであった。ただ、同僚のクーンが良い薬を教えてくれた。ここでは医師の処方箋なしで安く手に入るマラリア用の薬で、フランスだと40ユーロするという代物だった。たった3日分の薬がだ。1日2錠朝晩飲むだけで劇的に効いた。おかげで食欲も戻り事なきをえた。

 

さて、週末も寝て過ごして月曜日になった。朝食の時にみんなに「調子はどうだ???」と聞かれた。起きた時点からなかなか調子は良かった。ただ往復の長旅は大丈夫だろうか???という事が少し不安だった。まぁ、なんとかなるさ・・・。

この朝気がついた事があった。いつもだと何人かがボディー・アーマーをつけるのに手間取ってミニバスに乗るのに時間がかかりその間タバコ1本は吸う余裕があるのだが、この朝はみんなあっという間に乗り込んだ。僕が1週間休んでいる間にずいぶんみんなバスに乗り込むのに慣れた様でビックリした。それと、ミニバスの運転手も道に慣れた様で、憲兵隊の検問所で待っている装甲車の場所まで、初めは30分から40分かかっていたのだけれど、今は20分ほどで到着する様になっていた。検問所に着いてからも装甲車に乗り込むのが皆んな早くなった。

 

どんな感じだろうかと思いながら装甲車に乗り込んだ。いつも通りにウォークマンを付けて音楽を流す。調子は悪くない。

雨期の終わりを告げる様な青空が広がっている。そんな青空を見ているのは気分がいいモノだ。いかにも自分はアフリカにいるという気分にさせてくれるのだ。

 

事務所に着いて冷凍庫から凍った水と、脇にある通常の水をバックパックに詰めて教室へ向かう。教室前でトヨタのピックアップを降りると何人かから歓声が上がった。何人もの生徒から「KAWA、大丈夫か???」と心配された。

月曜日は何事も無く終わった。意外と疲れていないのでホテルに着いて安心したのだった。

食欲が戻ったので夕方になると腹が空いてきた。マラリアの最中と今週は酒は控えようと決めていたので、ルイジに買ってきてもらった純正コークを飲んだ。夕方ホテルのレストランへ行った。さて、何を食べようか・・・。ふと思いついてエスカロップの素揚げとフレンチフライを頼んだ。嬉しい事にタバスコがあって僕の好きな「スモーク・タバスコ」が置いてあるのは知っていた。皿の半分ぐらいのデカい牛肉の薄切りの揚げたやつが出てきた。マクドに比べていい色に揚ったフレンチフライも一緒に乗っている。

 

僕が食べはじ寝て少しすると、ボスのジェフがやって来た。「KAWA、何を注文したんだ???」と僕の所に来て、僕の皿を見て目を丸くした。「なんだそれは???メニューに載っているやつじゃないな???」と言ったので、僕は「ソースが重いので、素揚げにしてもらった。」と言うと、すかさずジェフは「これと同じものをくれ!」と注文したのであった。僕はたまにチップをはずむのでコック達は無理を聞いてくれるのだ。なのでメニューに載っていなくても注文出来るのだ。

ジェフの慌てた注文の仕方がおかしかった。

 

水曜日は射撃の日だった。僕は4丁のPKMという軽機関銃の射撃の監督を任されていた。そのほか、カールは車載の12,7mmの重機関銃、アメリカ人で陸軍特殊部隊「グリーンベレー」上がりのミックが82mm迫撃砲を担当した。なぜか知らないけれど、弾薬係のそばに「ラッパ」を持った兵士がいた。ダヴィッドが射撃統制官だった。副大隊長と話している。僕はPKMの射撃位置を決めて4挺の軽機関銃をおいた。少し経ってからいきなり指示が出てラッパ手が景気良くラッパを吹いた。射撃訓練開始の合図の様だった。それと同時に射手と100発のベルトリンクを持った装填手がやって来た。僕の指揮下には下士官が3人いたので彼らに装填の合図を出させる。それぞれ準備ができた様であった。それが終わるか終わらないうちに20メーターほど離れた2台の走行車と1台のピックアップに積んでいた12,7MMの重機関銃が射撃を開始した。デカい音だ!耳栓をしていて良かった!僕もPKMに「射撃開始!」と指示を出した。左から順に撃つのだ。だが、機関銃本来の連射からは程遠いものだった。射手はビビっているのか2、3発しか撃たないのであった。「短連射6発!」と大声で指示を下士官に伝えたけれど、射手の方はなかなか出来ないのであった。なんて事だ!これでは機関銃の意味がない!長連射10発に切り替えたけれど同じであった。何人かはそれなりに連射出来るのだったが、ほとんどが短連射6発に満たない射撃しか出来ない。4人の射撃が終わって次の4人の射手がやってくる。射撃姿勢を取らせる。下士官達に「連射」する様に射手たちに徹底させる。一丁だけ調子の悪い銃があったので、予備の銃と交換した。オリジナルはロシアの軽機関銃だけれども、ここにも中国が入り込んでいる。すべての機関銃、重機関銃、迫撃砲は中国製のコピーであった。果たして最後まで射撃が出来るかと心配していたけれど、なんとか最後まで射撃が出来た。最後は余った弾薬を下士官達に撃たせた。流石に下士官だけあって連射も難なく出来たし、的もほとんど外さなかった。機関銃とは「点」を狙うものではない。そんなのは小銃やスナイパーに任せてば良い。機関銃は「面」を狙って弾を撃ち込みさえすればよい。「面」を制圧する事が大事だ。

この日閉口したのは地面にコンビニのおにぎり2個分ほどの石がゴロゴロしていた事だ!その半端な大きさのせいで、常に歩き回っている僕は足首が痛くて痛くて射撃の最後の方は大変であった。だがどうにか終わった。その傍では相変わらず重機関銃の射撃が続いている。僕は離れた所に行って兵士が運んでいた空の弾薬箱を借りてそれに腰掛けて射撃終了を待っていた。やっと最後の射撃が終わると、再び「ラッパ」が鳴り響き、今日の射撃訓練は終わりを告げたのであった・・・。病み上がりだったけれど、今週の一大イベントが無事終わり少し安心した。

 

朝食の時、メッセージの出し方についてダヴィッドとシェリフと3人で話をしていた。IEDを発見したときや、救急搬送、レッカーを要請する時など、決まったメッセージのフォーマットがあるのだが、紛争地によって微妙に違いがある。国連のせいだった。何年かごとに責任者が入れ替わる。新しいのが来ると、そいつは何か新しいことをしたがって、今まであったものを更新したがる。世界どこでも同じなのだ。それで、メッセージなど微妙に変えて自分の手柄にしたいのだった。そのせいで現場に無理がかかる。そんなことは紛争地では日常茶飯事なのだ。ただただ現場が混乱する事だらけだった。こういう無駄なことばっかりやっている金食い虫が国連だった。日がな一日エアコンの効いたオフィスでコーヒーを飲みながらスカイプやFacebookなどをやっている奴らが10000ドルの月給で現場を困らせているのだ。

それはそうと、軍隊特にNATOでは色々なところでSTANAG(Standardization Agreement)と呼ばれる共通規格がある。そういうもので決まっていれば、世界のどこへ行っても迷う事がない。工兵だと、爆薬を仕掛けてもそれをSTANAGの書類に沿って書き込めば、どこに発火装置があってどこには何キロの爆薬がどこに仕掛けられているかという事を言葉の違う他の国の軍隊に知らせる事が出来るのだ。非常に便利で、現役の頃は僕らフランス軍でも重宝した。面白い事に「トイレ」の作り方もSTANAGによって規格がある。兵士何人の場合には幅、深さ、長さと決められた穴を掘るという事まで書いてある。もちろん弾薬や食料もSTANAGの規格がある。そうやって共通規格にする事で兵站の効率化を図っているのだ。もしそれに「メッセージ」があれば面倒な事にならないのになぁ・・・などと朝っぱらから話をしていた。その時僕が「こんな朝5時にSTANAGのことを話すなんて、俺たち頭がイカれてるぜ!」とぼそっと呟いたら、傍でフルーツを皿に取っていたジェフが声を上げて笑った。確かにそうだ。朝5時の朝食の時に話す内容ではないからな・・・。

 

そんなこんなで今週で車列(コンボイ)の行動についての僕とカールの授業は終わった。来週からは新しい授業が始まる。まず月曜から毎日1個中隊ずつ小銃の射撃について訓練する。何人かは数年小銃を触っていないという兵士がいる。カラシニコフの基本操作や弾倉の装填の仕方から教えなければならない。もちろん射撃姿勢、照準の仕方から引き金の引き方、その時の呼吸法、銃口の安全管理など多岐に渡る。兵士の基本だ。それらを徹底させないと戦場に送る事は出来ない。なので、来週からは本格的な授業に入るのだ。10月末まで毎日訓練は続く・・・。

 

 

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