1990年6月22日(金)
昨日同様、パーキングのトラックの後ろの土をシャベルで均していると11時ごろに小隊が戻ってきた。ジープやトラック、全てラテライトの埃で真っ赤になっていた。昼寝の後、荷物の片付けが始まった。僕は4丁のピストルの掃除を任された。射撃をしたわけではなかったので簡単だろうとタカをくくっていた。そうは問屋が下ろすわけがない。分解するのが大変なほどあちこちにラテライトの埃が入り込み、射撃後の手入れより大変であった。終わったのは夕食直前であった。
帰ってきた懐かしい顔もあったけれど、やっぱり鬱陶しいと思った。夕方、ビトウさんからの手紙が届いた。国内ではいろいろと面白そうな事が起こっているようで読んでいて楽しそうなのが伝わってきた。早くここから帰っていろいろと積もる話をしたいなぁ。
1990年6月23日(土)
大した仕事なし。明日は基地のガードなのでその準備のアイロンがけをした。
1990年6月24日(日)
基地のガード
1990年6月25日(月)
ガードがあけて宿舎に戻ると、中尉の計らいで日曜日程という事でゆっくり出来た。
1990年6月26日(火)
朝は久々の駆け足。中尉がいない間みんなでサボっていたのでキツかった。
午前中は給水タンクの掃除。まず外側から。こびりついたラテライトの埃を落とすのだ。
昼寝の後は車両整備。
1990年6月27日(水)
朝は8キロほどをハイペースで走った。その後いつも通り腹筋などをやったのだけれど、いつもより回数が多かったのでそれだけでクタクタになった。
明日の朝に、全ての車両点検があるらしいので、みんな何かしらの車両整備を一日中やった。
1990年6月28日(木)
朝から車両点検の最後の準備で忙しかった。そして9時から正規軍の車両整備担当の連中が来て、一台一台の車両のエンジン、ボディーなどをみて回った。
午後はバレーボールだったのだけれど、中国人のメン、国籍は忘れたが、どこかのスカンジナビア人のトルセン、フランス人のドゥリャン、僕の4人は、今夜中尉達の夕食会があるらしくその雑用だったのでその準備をした。僕とトルセンは給士だった。16時ごろから19時半ぐらいまでかけてテーブルの準備や食材などの準備をした。メンは20人ぐらい分の料理を作るのに大変そうだった。もちろん中華料理だった。僕らの小隊のフラダン中尉が1番の先任なので食事会を仕切っているようだった。
僕らは裏の調理場で料理を出す前にもちろん全てを味見した。メンの料理はとても美味かった。20時ぐらいから始まった。終わるのは日付が変わる頃だろうと覚悟していたけれど、予想外に早く終わり、23時ごろにはベッドに入る事ができた。でも明日はガードだと教えられてがっかりした。
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