B177 綺麗な茶色を作りたければペンキは適当に混ぜろ!

1990年6月14日(木)

午前中はいつも通りペンキ塗りをしていたけれど、排水溝の整備のためショベルカーで排水溝の溜まった土を掘り出しているデュキノア上級伍長のところに呼ばれた。電線などが近いところをシャベルと鶴嘴で掘って手伝った。シャベルやツルハシを素手でもって作業していたので午前中に1つ、午後に2つ手に豆が出来てひどく痛かったけれど、何か小言を言われたくなかったので黙って作業した。僕がしょっちゅう手を見ていたのでデュキノア上級伍長が手のマメに気が付いたようで、「慣れねー事するから痛いよなぁ!」と皮肉を言われた。僕は何も言わずに作業を続けた・・・。

 

1990年6月15日(金)

午前中は最後の窓枠のペンキを塗った。明日で終わりだ。午後は基地内の道路の整地をした。中腰の作業だったので腰が痛い・・・。

 

3日ほど前から、夜は、以前心ない奴に無くされた日記の修復作業をするようになっていた。初めての海外、これから未知の世界に行くのだという事で、その時の事はよく覚えていた。日記に書き忘れたことも思い出して足して行ったので、1日分が結構な長さになるのだった・・・。

 

1990年6月16日(土)

やっと全ての窓枠のペンキ塗りが終わった。上級伍長たちは今朝は何もせず朝からビデオを見ているようだった。ペンキ塗りが終わった旨伝えると、今度は小さいテーブルを塗るように言われた。僕も暇でどうしようもなかったので、ゆっくりやることにした。での、「白のペンキで塗れよ!」と言われたにも関わらず、赤、青、黄色、緑色のペンキしかなく、仕方がないので赤、青、黄色を混ぜて「茶色」を作った。配分を間違えたお陰で「結構綺麗な茶色」は出来上がって、デュキノア上級伍長に「そっちの方がいいなぁ!」と言われたので、その「結構綺麗な茶色」でテーブルを塗った。

午後は作業がなく、夕食まで寝ていた。

 

1990年6月17日(日)

昨夜は土曜日なのでビールを10本以上飲んでしまったので今朝は爆発しそうなぐらい頭がガンガンした。昼まで寝たら少しは良くなったけれど・・・。

最近は食事を自分で作るようになった。宿舎の冷蔵庫に何かしら入っているので、それを自分の好みに合わせて見よう見まねで作るのだ。しかし僕は日本の「インスタント食品」に慣れすぎているのか料理の腕はイマイチだ。でも最近やっと残さずに食べる事ができる食事を作る事が出来る様になって来た。今夜は豚肉があったので、ケチャップやニンニク、香辛料を使ってソースを作った。何風かは知らないがなかなか上手く出来たので一人満足した。

 

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