B173 退屈な日々

1990年6月2日(土)

朝は体がバラバラになりそうなほどの筋肉痛であった。にもかかわらず昨日と同じ様な駆け足とロープ登り、腕立て伏せなどをした。自衛隊時代も大した運動をしていなくて駆け足などは苦手であった。けれども部隊に入ってからはいつもの朝の習慣の様に駆け足をするので、僕は遅いなりにもなんとか走りきる事が出来る様になってきたし、時には遅れないで走る事が増えてきた。それにここでの駆け足はほぼいつも同じコースを走るので「ここを登りきったら少し下りになるぞ!」とか、ペース配分出来る様になった。

午前中は昨日同様のペンキ塗りだった。午後は雨が降り出して16時の集合は無くなった。久々に「ドミノ」を出したらアセンカオ伍長が「おー!きたな?」と言って喜んでいた。夕食までドミノで時間を潰した。最悪なことに明日の日曜は基地のガードだった。日曜のガードほど嫌な事はない。ちょっぴり良い事もあった。家から手紙が来たのだ。

夜は体がだるくて早めに横になった。

 

1990年6月3日(日)

昨日の朝の「筋力運動」で腰を痛めたらしい。立っても座っても横になっても痛くて一日中具合が悪かった。

朝ホラック軍曹を先頭に武器庫へ向かう時に中隊長で第1外人騎兵連隊から来ているロロー大尉とすれ違った。「いつも工兵小隊は日曜ばかりのガードで申し訳ないな。明日は休日日程でいいぞ!フラダン中尉にも言っておくから。」と言ってくれたらしかった。この一言は皆の士気を上げた。連隊は違えど同じ外人部隊だ。こういう配慮が出来るいい中隊長であった。数年後軍曹の時に仏領ポリネシアにあった第5外人連隊に配属になった。その時はロロー少佐であった。この頃の話を覚えているか聞いたら「よく覚えているぞ!フラダン(中尉)とは今でも個人的に親交がある。そうか!オイカワ !お前はあの時いたのか!」という事になり楽しい会話をしたのを覚えている。

 

1990年6月4日(月)

なんとかガードを下番して宿舎に戻った。中隊長のおかげで月曜にもかかわらず今日は休日日程だ。ただ朝から吐き気がして頭痛もありフラフラする。一日中ベッドの中にいた。日中なのに寒くて毛布をかける始末であった。今日が休日日程でよかった・・・。

 

1990年6月5日(火)

医務室へ行ったら「15日間運動禁止」と、2種類の薬をもらった。なんの薬かは覚えていない。小隊に戻るとまたペンキ塗りだった。宿舎の裏の静かなところでの作業だったのでうるさい連中もいなくていい。まだ少し腰が痛い。来週からまた3週間の予定で何処かへ行くらしい。気が重い・・・。

 

1990年6月6日(水)

今日は小隊のかなりがガードなどの勤務についていていない。3人しか残らなかったけれど僕もその一人なので小隊の作業をする事になった。一日中のんびりしていた。ただ、腰をかばっていたので少し疲れた。

相変わらず退屈な日々で早くフランスに戻りたいと思っていた。

 

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