B166 ごった煮を食べた後は少し寒かった・・・

1990年5月14日(月)

朝はいつも通りバレーボール。午前中の作業は、第1外人騎兵連隊の宿舎の周りの柵の鉄条網の補強をした。午後はまた雨が降って来て大した作業はなし。

夕方、中尉に呼び出された。いつに無く厳しい顔だ。土曜日のガードの時の事だった。夜間交代の時は、仲間が時間になって交代に来ると言う事を知っていても必ず「誰何」をしなければならない。それから合言葉をかける。土曜日に一度それを忘れたので注意された。いつに無く厳しい口調でびっくりしたけれど、ここではガードの時には実弾を渡すので、確認事項は絶対だ。

 

第1外人騎兵連隊はチャドへ出動して数人しかいなかったので、宿舎の警備を僕らが行っていた。その連中が第2外人歩兵連隊の連中と交代したので戻って来た。時たま遠くからしか見えなかったので、久しぶりに色々と話をした。

 

1990年5月15日(火)

明日から、ここの基地からかなり離れたところにある小さな村へ行って必要な作業を行うという事だ。フランス人が2人いて彼らからの要請だった。今日はそこへの出発準備だった。約10日間という事だ。

夕方家からの小包を受け取った。フランク・キャンパーという人が書いた「LRRP(ラープ、長距離偵察チーム)」と「マーセナリー」という2冊であった。フランスに戻ってからじゃないと受け取ることは出来ないだろうと忘れていた本だった。消灯時間を過ぎても、ライトの明かりでLRRPの方は全部読んだ。

明日は退屈な作業へ出発だ・・・。

 

1990年5月16日(水)

朝からもの凄い雨で、出発が午後になりそして明日の朝に変更になった。

この第2小隊に嫌気がして来たのはこの頃だ。口の悪いフランス人ばかり。18、19ぐらいなのに子供みたいなやつなど。明らかに僕の第1小隊とは違った連中だった。この2ヶ月、僕はそのことを認めなかった。時間が経てば慣れてそんな問題も解決するだろうと思っていた。けれどそれは間違いだった様だ。フランスに戻ったら元の小隊に戻ることが出来る。今はそれだけが望みだった。なにかこの頃は気分的に優れなかった様で、モチベーションが低かった。アフリカには問題はない。ただ、ここではフランス国内でやる様な戦闘演習も無い。酒保にはマルボロもキャメルもない。売店にはソーセージもチーズも売っていない。すべて許せない気分だった。そのせいかどうかはわからないけれど頭痛もした。明日には気分が良くなるといいけれど・・・。

 

1990年5月17日(木)

今朝は晴れたので、予定通り出発した。以前通った道をどんどん進んで行く。今夜の宿営地は以前きた事がある古い滑走路だった。明日も移動があるので際最低限の荷物だけ下ろして寝場所の準備だ。1キロほど離れたところにある人工の井戸まで行き体を洗った。

夕食は、大きな鍋に皆から集めた携帯食料のメインの缶詰を入れてのごった煮だった。味付けもなかなかで美味しかった。夜は車両のガードが22時から24時までだったけれど少し寒かった。終わって寝袋にしっかり入って寝たのだけれど、明け方はひどく寒かった・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう