B164 アフリカで寒ければ冬用のパーカを着ろ!

1990年5月6日(日)

久々にゆっくり起きた。昼食の時にナガオさんとタニグチくんにあった。彼らはここブアールの射撃場へわざわざ訓練に来ているという事だった。よく話を聞いてみると、空軍のジャガー攻撃機や自分たちの120ミリ迫撃砲、ミラン対戦車ミサイルなどバンギでは撃てない重火器の射撃訓練を行うという事だった。もし見学出来たらいいなぁと思った。何しろ同じ外人部隊と言っても連隊や兵科が違うから彼らの持っている重火器は知らない。特に120ミリの迫撃砲を見てみたかった。今でこそ120ミリ迫撃砲は砲兵連隊配備になったけれど、この頃はまだ歩兵連隊の中の支援中隊に配備されていた。第2外人歩兵連隊も同様で、彼らの「偵察・支援中隊」に配備されていた。

夜は小隊の食堂で食事だった。どういうわけかものスゴい量で、前菜2種類、ポーク・ステーキ、スパゲッティー・ミートソース、チーズ、ヨーグルト、コーヒーでお腹いっぱいになりとても満足した。長く医務室にいたからなのか全てが美味しくとても満足した。

 

1990年5月7日(月)

中隊での朝礼も無くすぐ駆け足だった。8キロぐらいだったけれど、まだ「胃」の調子がイマイチらしくキツかった・・・。シャワーを浴びて作業着に着替えると、今朝は車両の付属品がしまってある倉庫の掃除をした。

昼食の時第2外人歩兵連隊の知り合いになった伍長に「タニグチが医務室でノビてるぞ!」と教えてくれた。

なんと今度は彼がわざわざこんな所まで来てダウンするとは!以前彼は僕が医務室の世話になっている時に「胃の調子が酷くなるとフランスに送り戻されるかもな!」とか散々言っておいて今度は自分がそんな目にあっているのだった。それに彼は「衛生兵」の資格を持っていて医務室勤務なのに!

昼食後、医務室を覗きに行って彼にそのことを言ってみたらどんよりしてバツの悪そうな顔をして僕を見た・・・。

 

1990年5月8日(火)

今日は第2次世界大戦終戦記念日なので休日だ。朝に式典用制服で集まったけれどすぐに式典は終わった。

今日と明日、小隊に緊急出動待機が回ってきているので一日中戦闘服での待機だ。それに1日中無線番があった。僕は幸いいい時間に当たったので楽だった。15時少し前からものすごい雨になって気温が下がってきた。酷く寒い。ここはアフリカ、それも5月だ!こんな寒い目に遭うとは思ってもみなかった!ジューブが僕の前の無線機番で、何故か防寒用の内張がモコモコしたナイロンのパーカを着ていたのでそれを借りた。彼は以前にも来た事がありその寒さを知っていたからだった。もしジューブがいなかったら無線機番は寒くて酷い事になっただろう。夜の弾薬庫警備も寒いのは知っていたけれど今のこの寒さはハンパじゃないのだった。

Coupe vent fourré imperméable noir

今日は休日日程なので、夕食は小隊の食堂で自分たちで作った。どこから見つけてきたのかわからないけれど、デゴアス上級伍長が中華製の「醤油」を使って料理したので、日本の味に飢えていた僕は久々の醤油の味に大変満足した。

中尉や軍曹達は記念日の食事会に出席しているので今夜はいなかった。なので自分たちのペースで食べられたのでゆっくり出来た。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

 

2 comments / Add your comment below

  1. 今まで長い事読んできて、今追いつきました。

    自分が生まれる前からフランス外人部隊に務め、それも曹にまでなった方のかつての日記を追える事に大変嬉しく、
    また楽しく読ませて頂きました。

    正直に申し上げますと、この貴重な体験談を無料で読ませて頂く事に恐縮するほどです。
    それほど内容が濃く、面白く感じました。

    今後も追い続けたく思います。拙文失礼しました。

    1. ブログを読んでくれてありがとう。
      まだまだ先は長いけれども。
      これからも続くのでよろしくお願いしますね。まだ「伍長」にもなっていないけれど。

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