B159  一生の不覚

1990年4月17日(火)

5時起床。7時にはすべての荷物を積んで出発した。一日中走りっぱなしだった。途中直線の道でトイレ休憩。ラテライトの道端は10センチぐらいの草が生えている。そこを歩いて行って草むらのところで小便をした。その10センチほどの草の下が黒い。何かと見てみると何千匹もの「ヤスデ」がウヨウヨといた。マジか!正規軍の中尉が慌てて「乗車!」と号令をかけてみんな慌てて乗り込んで出発した。あんな大量の「ヤスデ」は見た事が無い。走り出してもまだ鳥肌が立っていた・・・。

 

途中はカメラを持っている奴らが写真を撮りまくっていた。僕もミノックスの小型カメラを持っていたのでそれで色々とアフリカだなぁと言うものをカメラに収めた。このカメラ、どこで手に入れたのかは覚えていない・・・。24枚どりのフィルムを2本しか持って来なかったにも関わらず既に2本目の21枚まで使ってしまった。こんな事なら宿舎のロッカーに入れてあるフィルム全部を持ってくるんだった・・・。途中通った村に「BINBO」と言うバーがあった。貧乏な国でビンボーもないだろうよ!などと考えて一人笑っていた。発音的にはバンボーなのだけれど。

走行中荷台から撮ってブレたものや無駄なカットが多いと思ったけれど一生の記念だと思うので沢山撮ろうと思った。          夕方18時過ぎに丘の頂上にある別荘のような所に止まった。すごく腹が空いていたけれど21時を過ぎても夕食はまだだった。今夜は1時半から3時半までのガードだ。まぁ今までついた3回のガードのうちすべて一番最初だったので4回目ぐらい悪い時間帯でも別に嫌な気はしなかった。

 

1990年4月18日(水)

5時半起床。7時出発。今日もひたすら走った。11時ごろ、崩れた橋のかけなおしているフラダン中尉以下小隊の面々に出くわした。みんな元気そうであった。

13時過ぎに基地に到着した。急いで荷物や装備を下ろしてまずはシャワーを浴びた。ラテライトの埃で全身真っ赤だ。そのあとはFA -MASの掃除、手入れではなく掃除と言った方が今回は当たっているかもしれない。

今夜は久々に自分のベッドでゆっくり眠れる・・・。

 

後日談;この中央アフリカ共和国での任務を終え3週間の休暇の時、合計6本ほどのフィルムが溜まっていたので勇んで写真屋へ行った。現像を頼むためだ。朝イチで頼んで夕方には出来ていると言うので夕方まで時間を潰し期待に胸を膨らませて写真屋に戻った。そして目の前が真っ暗になった・・・。写真屋は「使ったカメラ、今持っているか?」と聞いてくるので、休暇中も写真を撮ろうと思ってたまたま持っていたミノックスの小型カメラを見せた。写真屋はあちこちいじり回して一言いった。「このカメラ、バッテリーが切れているよ。」と言って渡したフィルムと現像したネガを徐に取り出した。すべて真っ黒であった。一枚とてまともに撮れていなかったのだ。当時カメラの事など全く知らなかったので起きた大失敗であった。なのでこの中央アフリカ共和国での任務の写真は一枚も無い。一生の不覚であった・・・。その後すぐ新品の「コニカ」のカメラを購入した・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう