B158 ニンニクを任される

1990年4月14日(土)

5時15分起床。やはり二日酔いだ。7時半ごろ正規軍の車列と出発したが、1時間もしない内にVLRA(トラック)の荷台から込み上げる物があったので2回もゲロゲロ吐いてしまった。僕らの後ろを走っている正規軍の車両からは丸見えだったので、車長の上級軍曹に思い切り笑われた・・・。

昨夜の雨で道が湿っているのでラテライトの埃をかぶる心配は無かったのは良かった。だが10時過ぎには太陽が高く上がり乾いた道を走り出したので昼食のため停車した時には全身真っ赤な埃にまみれていた。昼食もそこそこに走って野営地に着いたのは17時を回っていた。テントを張っての寝泊りと思っていたら古い空港跡の建物がある所だったのでそこの一つ空いている建物の中に野営に必要な折りたたみベッドや背嚢などを移した。正規軍の連中はテントを張っている。それらが終わってから夕食を作り始めたので、出来上がったのが21時を過ぎていた。僕は車両のガードが20時から22時までだったので、その後に一人で夕食をとった。彼らが作った食事はなかなか美味かったが残念な事に何を食べたかの記述はない。何人かの連中と話をしたけれど中々いい連中だった。明日は日曜日だけれど何をするのだろう・・・。

 

1990年4月15日(日)

6時半起床。一日中何もせずゴロゴロしていた。夕食は19時半ごろだったけれどまたまた僕は20時30分までの食事時のガードでその後また一人で夕食をとった。僕が食べ終わると、プリゴ伍長がやって来て「お前は1時間しかガードにつかなかったから俺らの食器を全部洗え!」と言って来た。自分の食器は食べ終わったら自分で洗う事になっていた。プリゴのやつは正規軍の伍長達とビールを飲んでいて酔っ払っている様だった。たまりかねて悪態が口をついて出た。やつは僕の方に来て殴ろうとした。こんなつまらない奴とやり合っても仕方がないので食器を片付け始めた。こいつは伍長のくせに軍曹見たいに振る舞おうとするので「Petit Sergent」(プティ・セルジェン=チビ軍曹)と影で呼ばれていてみんなから嫌がられていた。気分が悪い夜だった・・・。

 

1990年4月16日(月)

午前中は、僕とジューブを除いて皆どこかへ出掛けた。出掛けた後は暇なので、昨日作ったホウキでサッと居住区の掃除をした。枯れ草を拾って来てこれも拾って来た比較的真っ直ぐな枯れ木に結びつけたホウキだったけれど中々役に立った。掃除の後また暇になったので、ジューブが持って来たカードで時間を潰した。

昼食後のシエスタ(昼寝)の後は僕らが夕食当番だったので、ベルグ軍曹以下全員で支度をした。この時はニンニクを任されたので何十個も皮を剥いた。この時にニンニクの芯をちゃんと取り除く様にジューブに教えられた。この日はポークステーキだったのだけれど、正規軍1個小隊と僕らで30〜40人分の食事なのでステーキを焼くだけで結構な時間がかかった。早い時間に始めなければその分だけ夕食が遅くなるという事だ。

 

毎晩車両のガードが回ってくるのだけれど、どういう訳か今夜も入れて3回とも一番最初なのでだいぶ楽をしている。正規軍の伍長達が仕切っている様で、僕らは少し離れたところで寝ているからベッドの並びの順でやっているらしい。僕が壁際で最初のベッドだから最初に回ってくるのだった。

 

明日またどこかへ移動するらしい。僕ら外人部隊は正規軍の車列にただくっ付いているだけのオマケの様な感じで何もやる事がない・・・。ただ僕はこの移動して回るというのが好きで全く苦にならなかった。この中央アフリカのいろいろな景色が見られるし。ただ、そう思っているのは今だけだろうなとどこかで考えていたのは確かだ。

 

読んでくれた人、ありがとう

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