B156 外人部隊兵なら何でも食うのか???

1990年4月6日(金)

今日は基地から少し離れたところにある小川にかかっている橋の改修を手伝った。橋と言ってもトラックが何台も通過したら崩れそうなヤツなのだ。幹線道路を滑走路に向かい、そのまま進むとその小川に到達する。さらに進むと基地に到着するので駆け足は大体いつもそのコースを走る。なので馴染みの場所であった。ボロボロだったので、新しくするために基礎工事をする事になったのだった。何も地雷を仕掛けたり爆薬を仕掛けたりだけが工兵の仕事ではない。

朝イチで現場に向かい昼までかけてほぼ橋の基礎が出来た。皆涼しいので上着を脱いで上半身裸で仕事をした。時々吹いてくる風が涼しくて気持ちよかったのだが、日焼けのことをすっかり失念していたのだった。夕方すべての基礎工事が終わって宿舎に戻ってシャワーを浴びたのだがあまりの痛さに声を上げてしまった。それでも僕はまだいい方で、他の連中は背中と言わず肩や腕まで真っ赤になっている奴がいて見ていて気の毒なぐらいだった。夜ベッドに横になった時は痛くて寝返りをうつのには決心がいりそうな程であった・・・。

 

1990年4月7日(土)

基地正門のガード。暑くてくたびれた・・・。

 

1990年4月8日(日)

ガードが終わって朝食をとって、さて、シャワーを浴びて寝るか!と思ったけれど、朝食の時にコーヒーを飲みすぎたのか眠れなかった。だからグエンが持って来たギターを借りて弾いたり手紙を書いて過ごした。

午後にフラダン中尉に休暇について質問した。もし出来たら休暇は日本に帰りたいと聞いた。フラダン中尉は「多分問題はないだろう」との事だったのでまだ先の事だったけれど少し嬉しかった。

 

夕方はいつも通りバレーボールをした。ユベール軍曹の両手が左手だと言う事がわかった。失敗すると「お前のパスが悪いんだ!」と言う様なことを言うのでみんな腹を抱えて笑うのが常だった。一通り笑ったところでお開きになりシャワーを浴びて、今日は日曜日で小隊ごとの夕食なのでその準備を始める事にした。しかし今日の牛肉はチューインガムの様なイマイチの牛肉だったし味付けも良く無かったので不味かった。当時はやっとフランスの食事というか軍隊の食事に問題ないくらいには慣れてしまってきていたので普段は不満などなかったのだけれど、今日のははっきり言って不味かった・・・。あまりいい肉ではないのが食堂でもわかっていたのかどうかは知らないけれど、外人部隊兵ならば多分大丈夫食うだろうと言う事で回ってきたのか???

 

12日までディエゴと2人小隊クラブの当番だったけれど「あとは頼むよ」と言って先に部屋に戻り疲れていたので直ぐに眠った・・・。

 

1990年4月9日(月)

久々の駆け足で始まった。今朝のは大体12、13キロではないかと言う事だった。今朝の作業は、石切場へ行って大きな石に削岩機で爆薬を仕掛ける穴を開ける作業だった。しかし物凄い音と、とにかく埃が凄かった。頭から足先までの埃でザラザラした。

 

夜は小隊クラブの当番で昨日早上がりしたのでディエゴを先に帰した。3人いる上級伍長のうちデゴアス上級伍長とデュキノア上級伍長と3人でサイコロゲームをしていて今日も飲み過ぎてしまった・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

コメントを残す