B155 男達は怠け者

1990年4月3日(火)

今朝もバレーボールだった。そのあと少し水泳もした。ほとんど仕事といった仕事もないので、砂で浅くなってしまった排水口の砂をどかして整備した。

昨夜また3人が抜け出して女を買いに行ったのが見つかって朝からまた携帯用のシャベルでの穴掘りをさせられていた。一日中休憩も無しだ。食堂に行くのも禁止だったので一人につき一切れのパンとミネラルウォーター1瓶だけの食事というキツい罰が下された。確かに3人とも以前と同じ規則破りの連中だったけれど少し気の毒に思ったので夕食は何人かで自分の分のチーズやサラダをパンに挟んで持っていってやった。それから酒保に行って飲み物とチョコを買って来て渡してやった。規則を破るという悪い事をしたのだから当然なのだけれど、やはり少しかわいそうな奴らだと思った。

 

1990年4月4日(水)

今朝は基地のゲートのガードだった。交代をして暫くすると正規軍のガードがやって来て交代ということになった。なんとガードの予定表は変更になっていて正規軍がガードに上るという予定表をウベール軍曹が見て確認しなかったというわけだった。武器を返納して小隊宿舎に戻った。まだ朝早い時間なので運動着に着替えてバレーボールをした。

運動の後は作業着に着替えてプリゴ伍長とラオス人のグエン、フランス人のシェリコと基地からそんなに遠くない石切場まで石を取りに行くことになった。ただ石切場の脇にはかなり大きなゴミ捨て場があって、そこにはゴミ漁りの子供たちが沢山いた。僕らを見ると「タバコ!タバコ!」と口々に叫ぶ。一度でも与えるとキリが無いので僕らは無視した。その時その少年達が一斉に石を拾い出した。石切場のそばの石だから察して知るべしで、尖っていてあんな石を何個も投げられたら堪ったものじゃ無い。おまけにその時のトラックはシムカ社製のダンプで僕とシェリコは後ろのダンプの部分に乗っていたのだ。シェリコが「伍長!早く逃げましょう!」と言うが早いかグエンがアクセルを踏み込んでトラックは勢いよく走り出した。それが合図の様に少年たちは一斉に僕らに向かって石を投げ出したのだ!幸い何処にも当たらず難を逃れたのであった。

この時はまだ気がつかなかったのだけれど、ここでは働いている男達を見た事がない。木の根元の木陰でしゃがんで集まって話し込んでいるのは全員男達であった。荷物を運んだり物を売っているのは全て女達であった。この国ではとにかく男達は怠け者なのだ。後年軍曹になってまたここに戻ってくるのだけれど、その時に日本の建設会社が道路を作っていた。そこでの作業員は現地人(中央アフリカ人)では話にならないので隣の国のチャド人を雇って作業していたと除隊してアルジェリアでの契約の時に、当時日本企業でそこにいた日本人と偶然会って教えてもらった。とにかく男達は怠け者であった。しっかり働いているのは基地内で働いている連中だけであった。何しろ給料が良いから。

 

1990年4月5日(木)

今日は久々の射撃だった。射撃場までは細い獣道の様なところを歩いて行った。武器を使った訓練なので服装は長袖長ズボンの戦闘服と装具だ。戦闘服は熱帯海外作戦仕様なので生地が薄いのが使われている。大体3キロぐらい歩いたか?行きは朝7時ぐらいで涼しくて良かったのだけれど10時頃になると気温がグンと上がってとにかく暑いのだ。

射撃前に軍曹が数発無造作に標的の方へ連射した。銃声を轟かせて現地の人間が近寄らない様にと言う合図だった。屋外での射撃は久しぶりだったけれど袖を捲っているとは言え暑くてのぼせてくる。水筒の水はすでにお湯といってもいいほど熱くなっていた。日射病気味になって頭痛がした。

射撃が終わり再び歩いて小隊宿舎へ戻るのだけれど、到着した時はみんな水をかぶった様に汗だらけであった。武器手入れは着いて直ぐ行ったのだけれど相変わらず頭痛が酷かった。その日は寝るまで頭痛は消えなかった。

 

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