1990年5月3日(木)
朝軍医が来て「今日の午後ブアール行きの輸送機があるのでそれに乗って帰りたまえ。」と言った。急な事だったけれど良かった。13時過ぎの出発と言う事だったのでそれに合わせて空港へ行ったけれど誰もいなくて、側を通りかかった関係者っぽい人に聞くと「13時過ぎではなくて15時過ぎだよ。」と言われた。仕方なくその辺をウロウロしていたら酒保の様なところがあったので中に入り時間を潰した・・・。
ブアールに着いたのは17時を回っていた。小隊に戻るとみんなから「元気だったか?」と声をかけられた。中尉から給料を受け取った。その日は移動だけで疲れてしまって夜はすぐ寝た・・・。
1990年5月4日(金)
15キロぐらいの駆け足で始まった。ここ10日ばかりベッドの上の生活だったので終わった時はフラフラだった・・・。午前中は、射撃の標的の的紙の張り替えをした。午後は車両に付属している工具などの点検をした。
1990年5月5日(土)
朝から土砂降りの雨だった。この分じゃ今日の射撃は中止かな?と思っていたら10時少し前に小降りになったので、今回はトラックで射撃場へ向かった。
今日は300m十発x2、200m十発x2、25m25発x1という感じだった。300mも200mも今日はよく当たって小隊トップだったけれど、立ち撃ち25m25発フルオートは4発しか標的に入らず一気に6位まで落ちてしまった。腰ダメならばうまく入るのだけれど、まだまだ訓練が足りない様だ・・・。
ここブアールに戻ってきてから医務の中佐の言われたのはこれから6週間はアルコールは禁止という厳しい命令をもらったので今夜は外出だったけれど小隊のクラブでビデオを見て過ごす事にした。今夜の映画は全くのB級のアクションから始まった。「つまんねー!早く終わらないかなぁ・・・」と思いながら、かと言って他にやることもない。やっとそれが終わって2本目の映画は懐かしの名作「大脱走」であった。すでにフランス語の吹き替えになっていたけれど、この映画は何度も見てよく覚えていたので楽しめた。決してハッピーエンドではないけれど久々に楽しめた夜だった。
医務室に入った原因;いつも朝の駆け足など運動が終わってシャワーを浴びた後、集合前に時間があるので、何人かは小隊の食事の出来る場所へ行ってサーディンとかツナ、たまにパテを使ってサンドイッチを勝手に自分で作って食べる様になっていた。朝食だけでは足りない。これはフランスでも酒保からすでに出来ているサンドイッチを買ってきたりしていた。医務室送りになる前、いつも通りサンドイッチを作って食べる様になっていた。その時誰の真似をしたか覚えてないけれど、生のニンニクを刻んでサンドイッチの具と混ぜて食べるという事を覚えた。ただ限度というものがあるのを考えず、めったやたらと入れて食べていたので、数日後に「胃」が悲鳴をあげたという事がわかった。何度も事情聴取された結果、軍医に言われたのだ。自分でも納得だった。それ以外の原因が思いつかない。全く馬鹿な事をしたもんだ。それ以来ニンニクを気を付けて食べる様になった。少しの間ではあったが・・・。
読んでくれた人、ありがとう