B 148 ゆるい出発準備の日々

1990年3月9日(金)

戦闘服での集合。パルクール・ド・コンバッタンの服装だ。昨日のロープ登りなどで体がバラバラになりそうな筋肉痛だ・・・。集合の後、小隊長のフラダン中尉のあとに付いて駆け足だ。8時路のコースを走ったのだけれど、2、3キロ毎の腕立て伏せや腹筋があったので参った。基地に帰りついて、後は懸垂を何回かやれば終わりだろうとタカを括っていたのだけれど、パルクール・ド・コンバッタンの方へ向かって行く・・・。誰もが口にしなかったが苦い顔をしている・・・。「よし。P・C(パルクール・ド・コンバッタン)の後半をやる。」と中尉が言った時にはあちこちで声にならないため息が漏れた。塀越えや対戦車壕など、終わった時には頭の中が空っぽであった・・・。

午前中は倉庫で仕事。午後は体育館でミニサッカーをした。僕は相変わらず両足左であった・・・。

 

夕方マティラ上級軍曹とデ・プラデル上級軍曹が小隊長訓練コースのために第4外人連隊へ行くのでPotがあってビールなどで乾杯した。

今週末は48時間の外出が出来たけれど、大して金も無い僕は同室のジューヴと酒保でビールを購入して散々飲んだ・・・。この頃の酒保にはタイ製かどこかのインスタントラーメンが安く販売されていた。大きさは日本のやつに比べて小振りで3分の2ぐらいの大きさだった。ただやたら辛い唐辛子が付いていて飲み終わってからそれを2つ食べるのが僕とジューヴの間で流行っていたので今夜もそうした・・・。

 

1990年3月10日(土)

朝から夕方までビールを飲んだり怠惰な1日。

1990年3月11日(日)

洗濯をしたり手紙を書いて過ごす。

 

1990年3月12日(月)

今朝も駆け足もキツかった。途中からスピードが上がって行く。そして緩くなる。8キロ過ぎまでは先頭の中尉について行くのだけれど、そのうちに足がついて行かなくなり200メートルほど離されてしまった。第1小隊から来ている僕は第1小隊の意地にかけてもこの第2小隊の連中に負けるわけには行かない。しかしまたしてもやられてしまった。でも最近は第2小隊の雰囲気を掴みかけているのでその調子で頑張っていこうと思った。

 

1990年3月13日(火)

今朝はハンドボール。午前中は小隊で持って行く物の荷造りをした。午後になって連隊補給所へ行き熱帯地用の装備を受け取った。生地の薄い戦闘服や半袖半ズボン、寝袋、サングラスなどだった。この頃は大してやる事が無いのでゴロゴロばかりしている。

 

1990年3月14日(水)

軽い駆け足。本格的に装備をケースに詰め始める。

 

 

読んでくれた人、ありがとう