B153  紛争地へ展開か???

1990年3月26日(月)

駆け足のあと、小隊の編成の発表があった。小隊長の運転手ではなく第2分隊のマルモン(新兵訓練時代に乗ったトラック)の運転手だった。一回も運転した事がないので午前中はプリゴ伍長に教えてもらい運転の訓練をした。シエスタ(昼寝)のあと時間があったので自分が運転する事になるマルモンを少し運転してみた。明日何かあるらしく背嚢の準備をしろと命令が出たので夜は急いで背嚢を準備した。

 

1990年3月27日(火)

今日は緊急出動のための動員演習があった。5時に起きて武器庫へ行き武器搬出、携帯食料や弾薬の積載、全て積み終えたのは10時を回っていた。それから点検を受けて終了になった。終わるとそれらを返納しなければならない。そのため今日はシエスタ(昼寝)無しでクソ暑い中作業してクタクタだった。夜は小隊のクラブで一杯ひっかけて早く寝ようと思った・・・。

 

1990年3月28日(水)

昨日からラ・シャッス(下痢)に悩まされていた。朝の駆け足は勿論付いて行ける訳もなく体に力が入らない。ホラック軍曹に言って薬を貰ったのだけれど少し経つとすぐトイレに駆け込むと言った感じだった。午後などは仕事にならず部屋とトイレを行ったり来たり、しかし腹の中は空っぽで何も出ずと言った悲惨な状態で夜はもう何もする気が起きない・・・。こんなひどい下痢は生まれて初めてで、これもアフリカ特有の事なのかなぁと思った。

 

1990年3月29日(木)

今朝は少し調子がいい様だ。昨日はひどく体力を消耗したので今朝の駆け足はいつもよりペースが早いせいもあり最後の方は300メーターぐらい離されてしまった。

午後の集合の時に中尉から話があった。隣の国のチャドで何か問題があるらしくて、事が大きくなったら僕らも派遣されるかもしれないという事だった。退屈なのでその方がいいかもしれないとみんなで話した。夜は腹の調子が治ったのをいいことに小隊のクラブで暇を潰した・・・。

 

1990年3月30日(金)

午前中は殆どやる事無し。4月の給料の一部が出た。昼にいきなりガードにつけと言われて正規軍に混じってキャンプ正門のガードにつかされた。しかし夕方小隊から交代が来て小隊に戻るとチャドに出発するための準備をしろとの事だった。急いで背嚢の準備をした。車両もボロボロのマルモンなどに代わってVLRA(偵察支援軽車両)と呼ばれるトラックが3台どこからか借りて来たのか配備されていて既に殆どの荷物が積まれていた。この車両は機動性が高く運転しやすいので誰に聞いてもいい車両だと口を揃えて言う。200リッターの水のタンクも装備している。img_1

まだ待機の段階なのでいつ出発するかなどの話は出ていない様だった。

今夜は22時30分から0時30分までこれら車両のガードだ・・・。ガードの最中は、「もしチャドに行く事があったら???」という事ばかり考えていた。ちゃんと自分の準備は出来ているか?背嚢の中に何を入れたか?どこに入れたか?装具に不足はないか?ナイフはどちら側に付けたか?などなど・・・。そんな事ばかり考えていたのでガードの2時間はあっという間に過ぎた・・・。

 

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