B147 初めて自分の小隊を離れる

1990年3月4日(日)

中隊は月曜の朝から演習に出発するので既に車両には荷物や装備品が積んであった。その車両のガードが回ってきた。僕は12時から18時までのガードのローテーションに入っていて一回ガードについておしまいだったのであとは部屋でゴロゴロしていた。

 

1990年3月5日(月)

朝から武器などの積み込みで、あっという間に出発の時間になった。小隊の連中と「4ヶ月後に会おう!」と言って握手をして中隊の車列を見送った。今日からこの第1小隊を離れて第2小隊と一緒に4ヶ月過ごす。初めて自分の小隊を離れる事になるので少し寂しい気がした・・・。

午後から第2小隊に配属となった。全員が中隊長と面接をした。僕は中隊長から「フランス語がもう少し上手くなったら伍長訓練コースに送る予定だ」と言われた。中隊の隊舎には第2小隊しかおらずガランとしていた・・・。

 

1990年3月6日(火)

朝はホラック軍曹との駆け足だった。最初からすごいスピードで15、6キロメートル走ったのだけれど終わり頃には300メーターぐらい離されてしまった。駆け足の後はアフリカ行きの準備。

 

1990年3月7日(水)

管理中隊の連中と衛兵勤務。

 

1990年3月8日(木)

衛兵勤務明けでの駆け足だったけれど8キロぐらいだったので良い運動になった・・・と思ったら体育館へ向かって行った・・・ロープ登りだった。5メートルのロープを腕だけで3回、足も使って2回登った。さらに腕立て伏せや腹筋をやったのだけれど腕の筋肉がパンパンになって破裂しそうだった。

 

部屋はラオス人のサヤサン伍長のいる部屋になった。ジューヴもいて5人部屋で3人だった。サヤサン伍長は以前に仏領ギアナの第3外人歩兵連隊にいたと言う事だ。ラオス訛りのフランス語なので独特のアクセントなのだが同じアジア人という事なのか中々親切であった。この日は別にたいした仕事も無かったので3人とも部屋でゴロゴロしていた。

 

 

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