B138 人生で生まれて初めて運転する車は左ハンドル、4トンのルノーの軍用トラックであった・・・

1990年1月9日(火)、(水)、(木)、(金)

シンカイさんはよくパリに来る様で、いろんな場所を知っていた、なのでシンカイさんにいろいろなところを案内してもらった。

 

1990年1月13日(土)

クリニャンクールの蚤の市へ連れて行ってもらった。値段は交渉次第で幾らにでもなると言う話だった。とにかく何でもあった。新品を売る店もあるし中古の服や食器、骨董品もどき。いつかまた来ようと思った。

僕とビトウさんは今夜の電車で連隊に戻る事にしていた。夕食後は電車まで時間があると言う事で3人でマイケル・J・フォックスが出ているベトナム戦争映画を見たけれど、既にフランス語の吹き替え版で余りよくわからなかった・・・。

22時36分の寝台列車で一路アヴィニョンへ向かう。

 

1990年1月14日(日)

5時38分にアヴィニョン到着。少し駅のカフェで休憩した。8時ごろ連隊に戻る。

 

1990年1月15日(月)

今朝知ったのだが、今日から運転の訓練コースに行く事になっていてビックリした。マナンも一緒だった。授業が早くて余り理解できず。休憩時間にマナンが親切に教えてくれた。初日にも関わらずいきなりトラックの運転をさせられた。僕は今までの人生で車を運転した事は無い。教官のリバス上級伍長が手取り足取りで教えてくれてどうにかエンジンをかけてギアを入れ走り出した。ダブルクラッチなのでギアチェンジが上手く出来ず散々であった・・・。

 

1990年1月16日(火)

朝からフランスの交通法規や僕らの乗っているルノーのTRM4000というトラックの諸元の授業だった。人生初の車の免許をフランス語で受ける訳で、日本の原付の免許の経験はほとんど役に立たず。それにフランスは右側通行だし。それでも教官の一人のカドー伍長は交通法規のスライドを丁寧に教えてくれた。

trm_4000_b

午後も運転の授業だった。今日の運転も余り上手くいかなくて悔しかったし標識の小テストでは問題のフランス語が分からなくて散々だった。

 

1990年1月17日(水)

今日も運転や小テストが散々で気分が重い・・・。

 

1990年1月18日(木)

1回だけ小テストでまともな点が取れた。でも昼の運転は散々で、温厚なリバス上級伍長に怒鳴られてばかりでガックリしてしまった。

 

1990年1月19日(金)

テストはまぁまぁだった。運転の方は相変わらずだ。でもだんだんギアチェンジのコツを掴みかけているので怒鳴られる回数はかなり減ってきた。一通りコースを走って次の奴に交代する時に「まだまだ練習しないといけないぞ!」と言いつつも笑顔を返してくれたリバス上級伍長だった。この笑顔で少し元気が出た。

 

読んでくれた人、ありがとう