B122 洗ったパンツや靴下はベッドとマットレスの間に隠せ!

1989年10月23日(月)

久々の連隊朝礼で始まった。今日は一日中武器や装備品の手入れだ。しかし今朝部屋を掃除しないで朝礼に出た奴らの部屋がたまたまドジェイ軍曹に見つかり、小隊全員の部屋を午後の集合前に点検すると言う最悪の事態になってしまった。おまけに僕はその日の中隊の掃除当番にも当たっていたので、昼食後はただひたすら部屋と中隊の掃除の他は何も出来なかった。中隊の掃除が終わって集合前に半長靴を磨こうと部屋に戻ってみたら掃除が終わっていなくて点検は明日の朝と言う事になった。おかげで夕食後も掃除を続けて終わったのが22時を過ぎていた。やっと「コマンド訓練コース」が終わったのに最悪の週の始まりになってしまった。それに加えてドイツ人のベッカー伍長は何かと嫌がらせをして来るので一日中気分が悪かった。「第2時大戦では同盟国だったし仲良くやろうぜ!」などと言っておいてただ怒鳴っているだけであった。とにかく静かに喋る事が出来ない。現在の小隊には奴しか伍長がいないので僕等は全く救われない。明日も色々と装備品などの手入れがあって全くひどい1週間の始まりであった・・・。

 

1989年10月24日(火)

今朝は8キロの駆け足で始まった。久々の駆け足だったけれど調子が良かったので「いい汗をかいた!」と言う爽快な気分であった。駆け足が終わって中隊裏の鉄棒のところで懸垂だった。以前より回数も増えてスイスイ出来たのは「コマンド訓練」で少し鍛えられたのかな?

午前中は再びFA -MASの手入れだった。それも1時間に2丁もだ!オイルを落としてまた塗ると言う何とも馬鹿げた作業だと思ったが、軍曹になって下士官の教範を読んで判ったのだけれども、長期にわたる演習や訓練の後は3日続けて武器の手入れをする様にと書いてあった。でも兵卒の僕はそんな事は知る由もない。兵卒は言われた通りに手入れをするだけだ。

 

土曜日は連隊創立5周年の式典があるので隊歌の練習もした。午後は中尉の手伝いで小隊事務室で作業した。

夕方何と連隊で隊歌の練習があった。普通の隊歌だけではなく連隊歌だった。

 

朝の部屋の点検が昼に延び、昼の点検の結果が悪くてそれが翌日の朝にまた延びた。チビで口うるさいドジェイ軍曹には小隊全員がウンザリしていた。点検があるおかげで洗濯も出来ない。洗ったものを干す事が出来ないからだ。点検直前に洗ったパンツや靴下はベッドとマットレスの間に挟んで隠した・・・。

手紙が沢山来ていて返事を書かなければならないと言う嬉しい悲鳴をあげてしまった。

給料日は金曜日という事だった。今月は特に小遣いが無くなって来ているので早く金曜日が来ないかなぁとばかり考えていた・・・。

 

1989年10月25日(水)

第3小隊と合同で駆け足。その後は土曜日のための隊歌の練習をしたのだけれど、上手く行かず何度も基地内を罰走させられた。何人かの不真面目な連中のせいだった。

午後はウェンダーとイギリス人の新兵マイルズと小隊事務室で中尉のフランス語の授業だった。中尉曰く「英語もフランス語も同じだ!」という事だけれど、3人とも納得していないのを見て取った中尉はそれ以上何も言わなかった。

 

除隊後にアメリカやイギリスの会社の契約で仕事をした時、驚いた事に頭の中で日本語は出て来なくてフランス語から英語に訳して会話をしたり報告書を書いたりしていた。日本語と文法が違うので、文法が似ているフランス語から英語、またはその逆にする方が確かに楽だったけれど、それは何年も後の事だ・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう