B143 兵卒の分際で・・・

1990年2月9日(金)

山小屋での一夜は支給品の寝袋だったので夜中少し寒かったけれどまぁまぁだった。6時起床。持ち込んだパンとバター、コーヒー、砂糖、昨日の残りや小さいケーキなどで豪勢な朝食だった。7時出発。8時半ごろ谷間にある射撃場で射撃。昼少し前に宿舎に戻る。

昼食後は武器手入れ。明日連隊のに戻るのだけれど、各小隊から一人ずつ雑用要員を出さなくてはならず指名された。後で聞くとマティラ上級軍曹の仕業という事を知る。僕が一番新しい兵卒でないのにもかかわらずだ。第3小隊からはヴァスコ、管理小隊からはチビの通信兵ラニエーが選ばれた。第2小隊は誰だったか覚えていない。

 

夜はスキー訓練ご苦労さんという事で中隊での「Pot」(一杯飲む集まり)が開かれたのだが、第2小隊が今年の3月辺りに中央アフリカへ4ヶ月の任務に就くという話がこの頃に中隊では持ちきりであったので、ビールを片手にどさくさに紛れて第2小隊長のフラダン中尉に近づいて行った。そして僕と目があったので側まで行った。「僕はアフリカに行った事がないので第2小隊と一緒に連れて行ってください!」と直訴した。僕とフラダン中尉が話しているのを見てルジュン中尉が近づいてきた。兵卒の部隊兵と士官が親しそうに話すという事はほとんど無いからだった。フラダン中尉がルジュン中尉に事の顛末を話すと直ぐ様ルジュン中尉に睨まれた。そりゃぁそうだ。誰だって海外勤務に行きたいだろうし、自分の小隊長を差し置いて隣の小隊長に直談判するなんてトンデモ無い事だ。この頃の中隊は4ヶ月間マヨット島に行っただけであったのでみんな海外任務に行きたがっていた。何しろ給料がいい。しかし幸運な事が一つあった。フラダン中尉はこの連隊に配属になる前は第4外人連隊にいて新兵訓練小隊の小隊長をやっていた。その時教えたのが第2外人歩兵連隊にいるホシナと第1外人騎兵連隊にいるナグモだという事だったので、日本人には少し馴染みがあったのだ。この偶然により、後々中央アフリカ行きの人員に選ばれる事になる・・・。

 

1990年2月10日(金)

朝食後、中隊はトラックに荷物を積んで連帯に向けて出発して行った。残された雑用要員の僕らは宿舎の掃除をした。なぜ雑用ために残されたかというとこの週末に士官下士官の家族が週末を過ごすために来るのでそれ用の雑用という事をチビのラニエーに教えてもらった。食事の準備からその後片付けなどだった。

掃除が終わると中隊長の運転でスキー場へ行って自由に滑らせてもらった。???であった。雑用の方はどうなった???雑用は午後から始まった。でもヴァスコと一緒だったので手際良く進んだので楽だった。

 

夜は急いで後片付けをしてヴァスコとラニエーと村のバーへ出掛けた。ラニエーが「モナコ」という赤い飲み物を頼んだのでなんだろうと不思議そうに見ていると「飲んでみろ!」というので、2杯目にその「モナコ」を頼んだ。その後今度は「タンゴ」という同じ赤い飲み物も飲まされた。モナコというのは、ザクロのシロップにサイダーとビールというもので、タンゴはサイダー無しでシロップとビールだけというのをこの時覚えた。モナコが気に入ってその日はそればっかり飲んでいた。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

明日からちょっと仕事でアフリカの方へ出掛けるので、数日ブログ更新出来ませんけれども落ち着き次第再開しますのでどうか引き続きよろしくお願いします。