B135 「ジャパン・エアライン、行け!」

1989年12月27日(水)

今朝の駆け足は連隊からそんなに遠くないセザール台地まで行った。12〜13キロメートルか?何しろ坂が急で大変なコースだった。でも最近の駆け足の時は以前と比べてとても調子が良くて気分がいい。最後の急な坂に来た時中尉が「早く行ける者は行け!」と号令を出した。なので今朝は中尉を追い越して走り出そうとしたらブタレブ上級伍長が「ジャパン・エアライン、行け!」と怒鳴り声を出したので何人かが笑い声を上げた。しかし霧が濃くて寒かった。

午前も午後も壁のペンキ剥がしだった。今週は勤務中隊なのだけれど、珍しい事に僕の名前は書かれていなかったのでホッとする。クリスマスも終わりもう何日かで今年も終わるのだけれど全くそんな気はしない。29日の夕方から休暇なのに「もう直ぐ休暇だぜ!」と言った期待感も無い。連隊中が年末でなんだかノンビリとした空気だからだろう。

朝の駆け足を気合を入れて走って疲れたので今日は早く寝るかと決めていたのだけれど、久々に中隊のクラブが開くと言うのでちょっとだけのつもりで顔を出したらいつもの如くついつい飲み過ぎてしまった・・・。

 

1989年12月28日(木)

今日も一日壁のペンキ剥がし。

朝の掃除で僕はトイレ/洗面所掃除だったのだけれどベレから小隊長室の方に回れ!と言われたのでその通り小隊長室の掃除をした。代わりにメキシコ人のロメロがトイレ/洗面所掃除に回されたのだけれどサボりやがった。それをズィグレール曹長に見つかりマティラ上級軍曹まで小言を言われた様だった。ロメロの奴はオイカワもトイレ掃除だ!とか吐かして僕まで叱られた。ロメロと2人小隊長室に呼び出された。中尉とマティラ上級軍曹に「僕は今朝掃除場所の変更を言い渡されて小隊長室の掃除だったのでトイレのことは知りません」と説明したのだけれどいきなりマティラ上級軍曹に「à position !」(姿勢をとれ!)と怒なられ腕立て伏せを50回やらされた。僕はなんとか50回の腕立て伏せをやり終えたけれどロメロは20数回しか出来ずウンウン唸っていた。罰として夕食後の掃除を言い渡された。小隊長室を出てからベレのところに行ったけれど奴も叱られた様で多くを語ろうとしなかった。仕方がないので夕食後ロメロと2人でトイレと洗面所の掃除を始めた。こいつが朝ちゃんと掃除をしていたらこんな事にはならなかったのに。そのことをロメロに言うと奴はぼーっと立ち尽くしてニヤニヤしている。流石に頭に来て思いっきり顔面を殴ってやった。ふざけた野郎だ。洗面所の排水が悪くて掃除が終わったのは0時を過ぎていた。

 

1989年12月29日(金)

午前中壁のペンキ剥がし。午後はFA -MASの手入れをした。夕方小隊で「Pot」(一杯飲む集まり)があって中尉がサーベルを使ってシャンパーニュの栓を開けた。今日から休暇に入るのでその前に一杯という事だった。

18時ごろタクシーでアヴィニョンに行くという予定を立てていたけれど、ビトウさんの小隊の武器手入れがまだ終わっていなくて出かける時間をずらしてTGV ではなく夜行で行く事にした。

23時過ぎの夜行列車に乗った。シャルトンも一緒だったので中々楽しい道中だった。パリに着いたらそのあしで志願した場所「ノジョン要塞」へ行くつもりだった。以前の「シンカイさん」の様に休暇なので、休暇中の部隊兵は無料で泊まる事が出来る。食事もとる事が出来るので、僕らの様な金のない兵卒にはありがたい場所であったのだ。パリ市内までは結構あるけれど何人かの日本人部隊兵と集まるという予定もあったので楽しみにしていた。それに久々に日本食も食べられるかな?クリスマス前に日本から私服を幾つか送ってもらっていた。上着はスキー用品のメーカーのやつで、日本にいた時は普通に何事もなく着ていたのだけれど、なんと今回の休暇で着てみたら少しきついのに気がついた。鍛えられて体が大きくなった様だ。志願した時は174センチ58キロだったけれど今は62キロになっていた。筋肉が付いた分上着がきつくなったのだった・・・。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

コメントを残す