B127 「トレンチ・フット」(塹壕足)

1989年11月11日(土)

朝から頭痛と悪寒で目がクラクラしていた。午前中の地雷や爆薬を仕掛けて障害を作る訓練を終えて医務室に行った。ベッドで寝ていろという事だったので昼食後はベッドの寝袋に入ったままであった。ビトウさんが貸してくれた森村誠一の「分水嶺」が何気に面白く、寝袋の中で消灯まで読んでいた。なんだか薄ら悲しい話であった。

 

1989年11月12日(日)

コマンドには休息はあったけれど、ここには土日はなかった。せっかく遠い演習場にわざわざ来ているので、1日でも無駄に出来ないのだ。午前中は小銃擲弾の射撃で終わった。午後は実際の成形炸薬を何種類か実際に使っての爆破訓練だった。僕たち工兵でも中々実物を使っての訓練は出来ない。値段がべらぼうに高く、訓練だからといってそんなにドカンドカンと数を爆発させる事は出来ない。こういう演習場での訓練の時ぐらいだ。

夕方外出許可が出たけれどほとんどのものが部屋に残っている。僕もだ。明日が休みならば考えたかも知れないけれど、明日は月曜で5時起床、夜まで訓練だから・・・。

 

1989年11月13日(月)

午前中は10メートルぐらいの幅の川をVABで渡る訓練。対岸で待機。夜は他の中隊が渡河する作業の支援だった。僕はいきなりウェットスーツを着てZodiacボートに乗って何かあった時の補助をしろと言われてボートに乗って渡河訓練を見ていた。一応コマンド訓練の時に買った内張りがモコモコのパーカを着ていたけれど寒い事この上ない。水飛沫がボートにかかるとそれが片っ端から凍ってゆくのだ!1時間以上その格好でボートに何人か乗っていたけれどやっと交代になった。寒すぎて歯を食い縛っていたので顎が痛い。戦闘服に着替えて半長靴を履いて少し落ち着いた。

 

1989年11月14日(火)

朝は師団での8キロメートルのクロスカントリーであった。今朝は体の調子が良くてこれならいい線いけるかな?と思ったけれど、とにかく寒い!スタート地点は巨大な原っぱなのだったけれど、霜が降りて緑の原っぱがペパーミントグリーン一色であった。結果は41分で余裕を持って楽に走る事が出来た。この頃から駆け足も苦手意識が薄れて来ていたので、決して早くはないけれど、気持ちよく走る事が出来る様になって来た。

午後はヘリの訓練が明日あるのでそのための準備の訓練をした。

夜は再び「100歳の機関銃」の射撃であった。20時前というのに地面が凍り始めて、自分の番を待っている時は足が凍りそうであった。あまりの寒さで、自分の番が来て射撃してもこの間の高揚感は全くなかった・・・。通気性の悪い普通の革製の半長靴であったので足の汗が抜けず、この状態が続けば「トレンチ・フット」になるところであった。

 

1989年11月15日(水)

一日中ヘリでの訓練だった。ヘリに乗り目的地で急いで降りたら駆け足で目標まで行き爆薬を仕掛けたり地雷を敷設したりして再び戻って来たヘリに急いで乗り込む。そして次の任務の目的地へ向かう。小説や映画の見過ぎなのか、ヘリの中では何か自分が特殊作戦を行っている特殊部隊員か何かではないかと頭の中でオーバーラップしていた。なのでこの時の訓練は重い装備で駆け足の移動など大変ではあったけれど面白かったという記憶がある。

 

夜は久々にゆっくりだったので、宿舎の同じ階の廊下の突き当たりの部屋を改造して管理小隊が簡易売店をやっていたのでそこでビールを何本か購入して飲む事が出来た。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

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