B092 1989年8月12日(土)軍曹の末路と兵卒の進路

連隊初動班「P・I」の勤務だった。だから休みと言う事では無い。午前中は地雷除去の実習だった。実際の道具を使って地面に埋めた演習用地雷を探り当てるのだ。「Sonde ソンド」((日本だとゾンデ、観測などに使われるものをそう言う風に呼ぶらしい。いわゆる「探る」と言う事ですね。)と呼ばれる先の尖った磁石に付かない金属で出来ている物で5センチ間隔で地面に対して30度の角度でソンドを15センチほど地面に突き刺して地雷がないか探るのだ。

午後は筆記のテストだったけれど、答えがわからない以前の問題で、質問内容が分からないので答えようが無いのだ。40分間のテストだったけれど、殆ど答えが書けず全くやり切れない時間だった・・・。夕方に待機所に行く時には辞書を持って行った。わからなかったところを調べなければならない・・・。明日は日曜日だけれど授業があるらしい。休みが無く夜も授業があったりして少々参っている。でもこの資格を取らないと前へは進めないのだ。ずっと兵卒でいるつもりは無い。

 

夜は酒保の脇にある「映画館」で映画を見ながら酒保が閉まるまで時間を潰すのが常だった。けれど誰も見たがるような映画はやっていないので、何年後かに改装して「多目的ホール」になった。

夕食後少しして映画館に行くものと思っていたら第2小隊のスピッツ軍曹以下全員酒保に入ってみんなビールを飲み出した。7時少し前だった。7時半ぐらいになったら時間潰しの映画かなと思っていたけれど誰も席を立たない。とうとう酒保の閉まる時間になってしまった・・・。当然の事ながら全員酔っ払っている。一体非常待機の任務はどうなったのだろう。この前のルスィック軍曹の時と同じだ。最近仲良くなったトルコ人のエルドガンと長い時間話す事が出来た。なんでもルスィック軍曹が降格処分になると言う事だった。ルスィック軍曹はあちこちの兵士達から総額7000フランとも8000フランとも言われる大金を借りまくって返していないと言う。当時の軍曹の給料は6000フランとちょっとなので、自分の給料以上を一体何に使ったのか?酒であった。彼はアル中で、よくよく見ると手が震えているのだった。なので飲まずにはいられず金が続かないので、部下の兵士から50フランだ100フランだと借りて行ってどんどん膨らみ兵士の方は一向に貸したお金が返ってこないので小隊長のルジュン中尉に報告が行ったのであった。何人が被害にあったのかはわからないけれど、うちの小隊だけじゃ無く他にもいたらしいと言う事だ。この手の話はこの当時は結構あった。せっかく軍曹までなったのに降格させられたら余計に酒に走って元には戻らないだろう。契約が終わり次第外人部隊から放り出されるのだろう・・・。

 

今朝ウェンダーが脱走したと言う事も聞いた。まさかと思った。大体いつも連れ立って酒保に行ってビールを飲みながら将来のことを語り合った。ほぼ同期でイイ奴だと思っていたのだけれど。戻って来ればいいと思ったけれど戻って来たら営倉行きだ。このまま上手く逃げて自由になって欲しい気持ちと両方あってなんとも複雑な心境だった。この時代の僕はそう言う考えを持っていたけれど、何年もフランスで生活しているうちにそのような考えを持つ事がだんだん無くなっていって、今なら「自分の人生なんだからやりたいようにやれよ」と考えるようになった。僕が彼の人生をどうこう出来る訳では無いからだ。

しかし、下士官になると部下の人生を左右する事に関わってくるようになる。僕が軍曹の時に小隊にチェコ人の兵卒がいた。何か話したそうな素振りを見せるので話を聞いてやった。なんでも、チェコ軍にいた時は無線係をやっていてモールス信号とか出来ると言う。なので、外人部隊でも通信兵になりたいのですがと相談された。僕はしばらくして中隊事務の所へ行って彼の個人ファイルを借りて読んだ。カステルノダリーの新兵の時の僕のようにタイプライターの前で事務員の素質のテストの部分などがあったけれど、そこの通信兵のテストでは素質ありと書いてある。なのでその事を小隊長のマルティンズ中尉に相談した。中尉は中隊長に報告してそのチェコ人はカステルノダリーの通信兵の訓練コースに送られる事になった。フランス語はあまり出来なかったけれど、流石にモールス信号の経験者だし、信号のアルファベットは世界共通なので、兵卒だったにも関わらず見事に通信兵訓練コースを一番で終わって帰って来たので僕も中尉も喜んだ。数年後には上級伍長になり、「サチコさん」と言う日本人女性と結婚したと聞かされた。

その後彼は禁止されているのに隠れて休暇の時に自国のチェコまで行って来たそうで、僕にお土産と言って、チェコのビールと、チェコの有名な絵が描かれているワイングラスを持って来てくれたのだった。通信兵訓練コースに送ってもらって有難う御座いますと言われた。僕も嬉しかった。そのグラスはちゃんと日本へ持って帰った。

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