外人部隊では12月24日は全員基地の中でクリスマスを祝う。各小隊ごとキリストの誕生を祝ったCrèche de Noël クレッシュ・ドゥ・ノエル(キリストが生まれた場面の模型)を作って祝うのだった。他の連隊は知らないけれど、僕の最初のノエルは各小隊がバーを作って、自分の小隊の人間はビールなど「タダ」であった。
夕方になると、全員制服を着て会食の場に集まりそこで中隊長からノエルのプレゼントが渡される。順番は、一番新しい兵卒からだった。その間みんな脇に置いてあるビールを飲みながらワイワイやる。下士官を含め、全員にプレゼントを渡し終えた時点で小隊ごとにテーブルにつく。
そして前菜が始まると同時に、「出し物」が始まる。大体この1年で中隊で何をしたかというのを劇仕立てにしたのをやるのだけれど、その対象は大体士官や下士官というのは相場で、面白おかしくマネされて大笑いになる。中にはギターを弾いたりマジックをやる部隊兵がいて、いったいいつ練習したのか?と思う様な見事なものもあった。
そんな所を連隊長以下司令部が回って歩く。連隊長はワインを渡され中隊長に今の中隊の様子などを聞き、出し物の方もとっておきの可笑しい物を出して連隊長を笑わせるのだった。中には司令部の少佐や中佐の事を真似たものがあったりして苦い顔をされる事もあったけれど、連隊長は大笑いであった。
会食の場所に行く前にすでに何本ものビールが消費された。
食事はフルコースで、デザートが出る頃にはそれなりに酔っ払っている・・・。ちゃんと最後にはシャンパーニュも出た。それと、シガリロと呼ばれるタバコ大のいわゆる葉巻も各自一本あってそれに火をつけた。
一通り終わると、最後に全員起立して中隊歌を歌い、そこから中隊に戻って後はひたすら飲みまくる。中隊のクラブや隣の小隊のクラブ、中隊長もあちこちのクラブに顔を出してみんなといろいろな話をする。1番の上級者の中隊長がいるので、中隊長の許可がなければ士官下士官は帰る事は出来ない。妻帯者で子供がいてもだ。なぜかというと、その昔の外人部隊は志願者の多くが自国を離れて家族とも別れて志願してきた。なので、クリスマスは各自が各自の家族として振る舞おうという伝統が出来た。自分の戦友は自分の兄弟というわけだ。上官たちはさしづめ親代わりと言った所か。というわけで、寂しくない様に中隊ごとに集まってクリスマスを過ごすという事になった訳だ。それは今でも続いている外人部隊の大事な伝統の一つである。もちろん海外に作戦で展開していてもだ。
一度などは、25日の朝、下士官宿舎から中隊に向かう途中で大声で呼び止められた。目を凝らすと、フラダン大尉であった。この時フラダン大尉は隣の第2中隊の中隊長で、僕が通りかかるのを目にして、彼の中隊のクラブの窓から大声で僕の事を呼んだのだ。別に僕の中隊は急ぎの仕事もないのでそのまま呼ばれるままにフラダン大尉の所に行って「Joyeux Noël Mon Capitaine !」(大尉殿、メリークリスマス!)と挨拶する間も無くビールを渡された。朝の8時ちょっと前である。彼の中隊は昨日の夜からそのまま飲み続けであった。全員まだ制服のままだった。戦闘服なのは僕だけで非常に目立った。ビールを4、5本飲まされた記憶がある。朝まで自分の部下と一緒にいる中隊長を見たのは彼が最初で最後であった。
プレゼントは、中隊のクラブの売り上げや、中隊の「秘密資金」から出される。連隊の方からも各中隊にいくらか出た記憶があるが忘れてしまった。89年のノエルは翌25日が「衛兵勤務」であったので、中隊会食の後は寝てよしと言われてすぐ寝た記憶がある。それでも0時は回っていた。
プレゼントについて。89年の初めてのクリスマスの時にもらったのは外人部隊の色である緑に赤いふちのバスローブであった。どこからそんなものが出てきたかというと、酒保で仕入れたけれど全然買う兵士がいなくて余剰品をプレゼントに回したのではないかというかなり信憑性の高い噂がその晩すぐに出回った。何年後か忘れたけれども、連隊の写真集を貰った事もあった。自分では絶対の買わないというヤツだ。6REGと4REそれぞれもらった記憶がある。
現在はそういう事がなくなって、酒保からカタログが送られてきて各自が好きな物を選べる様になった様だ。小型のカメラのときは人気があり過ぎて数が足りなくて後日遅れて届くという事もあったし、出来の良いスリーピングバッグだったりその時すでに下士官だった僕でも、中々いいじゃないかと思ったものだ。仕事で役に立ちそうなものが多かった様な気がする。
下士官になると、ノエルの前日ぐらいの下士官の集まりで、下士官クラブで連隊長も招いてプレゼントを連隊最先任下士官からもらう事になっていた。97年の時は、その当時やっとフランスで広がり始めた「携帯電話」だった。プラスチックがまるで子供のおもちゃの様な安っぽいものだったけれど、携帯電話を持っていない連中がほとんどだった時代なので、それなりに好評だった。僕は海外勤務を終わって帰ってきたばかりですでに「ソニー」の携帯電話を持っていたけれども・・・。また、名前入りのラギオール(Laguiole)のナイフをもらった事もあった。
25日になると、連隊に一般の人がやってくる。家族であったり近所の人や噂を聞いてきた人々。彼らの目的は、各小隊で作ったCrèche de Noël クレッシュ・ドゥ・ノエル(キリストが生まれた場面の模型)を観に来る事だった。連隊長夫人と何人かがどれが良く出来ているか採点をして回って順番をつけたりもした。1位になると賞金が出た事もあった。大した額ではないけれど、材料費を補って余りある額だった記憶がある。12時から17時まで沢山の人がやって来た。既婚者は奥さんや子供を連れてくる。僕は下士官宿舎で寝ていたけれど・・・。
というわけで、外人部隊では自分の家族でノエルを祝う事が出来ないけれど、その分自分の小隊の部隊兵や中隊の連中とノエルを祝う事で親睦を深めるというのが伝統として続いている。普段余り会話しない連中と話をしたり、あのときはどうだったとか裏話が出て来たり、僕も独り者だったのでそれはそれで楽しかったし、下士官になってからは部下のいろんな話を聞いてやったり一緒になって笑ったりした。笑う量よりビールを飲む量の方が多かったけれど・・・。
読んでくれた人、ありがとう