B113 1989年10月4日(水)のつづき

正規軍の教官の上級軍曹が「青」の前で「これは基本中の基本だ!」と言ってまずケーブル一本の渡り方を説明した。「tyrolienne simple」(チロリアン・サンプル=チロリアントラバース)と呼ばれるものから始まった。

Partenariat MEDEF/Ministere de la defense Mont Louis - 09 et 10

テレビでは自衛隊のレンジャー訓練の様子などで見るあれだ。ここではロープではなくケーブルだった。安全のためのハーネスを着けてまずケーブルの上に乗らなければならない。お腹のところにハーネスのカラビナを当てるとよく滑る様になるので進むのが楽になる事を覚えた。もし万が一バランスを崩して落ちた時に自力でケーブルに乗るやり方も覚えた。バランス感覚が必要だった。

出発前に連隊の映画館で見た障害物の少しはあったけれど、そのうちの少ししか今朝はやらなかった。それが終わると駆け足で移動して要塞の門を出てすぐ右でのロープ降下の訓練だった。ここでは、連隊でやった様な「8の字リング」を使ったやり方の他に、カラビナだけを使うやり方、ロープだけで何もない時にどうやったらいいかなどを覚えた。ロープ降下のやり方3つを覚えた訳だ。今日は高さがそんなにない「青」だったのでチビリそうにはならなかった。

午後は徒手格闘だった。まず準備体操代わりに走ったりでんぐり返し、匍匐、腹筋や腕立て伏せなどをして体を温める。終わった時は何と2時間も経っていてクタクタだった。急いで装具をつけて今度は「市街戦」の訓練だった。まだ基本動作だけだったけれど、あちこちに目を配らなければならないのでなかなか難しかった。空包を無茶苦茶使った。これだけ撃ちまくったのは初めてだった。普段は弾倉6本しか支給されていないけれど、大規模な市街戦になった時にはかなりの数の弾や手榴弾が必要になる。戦争とは何とも金がかかるものだ・・・。

夕食後は20時ごろまで武器の手入れをした。武器庫にしまい終えて部屋に戻ると、西ドイツ軍の兵士が2人やってきた。ベレーを交換してくれないかという事だ。予備に持ってきた外人部隊の緑のベレーと彼らの赤紫のベレーを交換した。その彼は英語を話したので、お互いの所属している部隊の話などをした。ほんの短い時間だったけれどお互い兵士同士すぐに仲良くなった。彼らもコマンド訓練コースをやっているので、何かお互い共通に感じる部分があったのは彼らも一緒だったのだろう。このベレーは今でも大切に持っている。

 

1989年10月5日(木)

今朝は「Zodiac」の6人用ゴムボートを組み立てて上陸の訓練をした。夜間を想定しているので船外機はつけないでオールで漕ぐ。結構大きな湖で訓練をした。夏の暑い時期だとボートがひっくり返ったときにどうやって元に戻すかという訓練もやるらしいけれど、今の気温では出来ないらしく少し安堵。

Formation technique de spécialisation 3e Cie du 21e RIMa au CIE

午後は、「パルクール・ドゥ・ニュイ」という夜間の障害超えの訓練をした。夜間に敵の陣地や各種施設に侵入する時のテクニックを学ぶのだった。明日の晩にタイムを図るという事だった。

 

夕食後20時に集合があった。建物の中に仕掛けられているトラップ(罠)の見分け方だった。どこに罠が仕掛けられていそうか、どんな爆破装置が仕掛けられているかなどだった。後の自分がこの様な物の処理の仕事に関わる事になるとはこの時は知りもしなかったけれど、頭の中の片隅に残っていたのは確かだった。それだけ印象が強かった。

扉が開いていて廊下には絨毯が敷いてあった。絨毯の真ん中を歩くと、中間地点あたりに感知装置がありブザーが鳴る。という事は罠に引っ掛かり爆発するという事だった。僕は映画か何かの記憶があったので絨毯の真ん中を歩かないで絨毯の端の部分だけを使って歩き無事に中の部屋までたどり着いた。教官と中尉が見ていて教官に感心された。

 

それはすぐ終わったけれど、今度は暗闇の中で「Zodiac」の6人用ゴムボートの組み立ての訓練もやった。そのあとは室内射撃場でフィルムの画面に出てくる敵に向かって弾頭がプラスチックの弾を使っての射撃だった。射撃はいいのだがとにかくそこは寒くて全員パーカを着用していた。待ち時間ばかり長くて寒い寒い。

日記には10発中7発命中とあった。

 

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