B110 「寝ゲロ」とピンク色のシーツ

1989年9月29日(金)

午前中はコマンド訓練に行く準備と待ちに待った給料だった。酒保の中の一室で中隊長から給料を渡され、その足で酒保の売店に行った。でも日用品など品切ればかりだった。月末は皆酒保で買い物するのだからちゃんと品物を仕入れていて欲しいものだ。だが絶対にビールだけは品切れにならない様に仕入れている。さすが外人部隊であった。

午後は大したこともなく終わると思っていたら中隊の集合がかかって、酒保の脇の映画館へ入った。何かと思ったら、前回の中隊のコマンド訓練の時に撮ったビデオを見せられた。中隊長が色々と説明する。でも何も耳に入らずビデオの訓練風景に目が釘付けになった。ニームでの訓練など目じゃなかった。手の汗を何度もふいた。心臓がドキドキする。傍にいた連中も「マジか!」と小声で呟く。第3小隊の小柄だが凄い運動神経をしているアモラン軍曹が映っていて格闘戦のコースでは最後の方はもうヘロヘロになっていたにも関わらず敵がどんどん出て来て戦い続けなければならず「こんなの無理だろ!」と言うのが本心であった。反面この訓練を今までに何人もやって来ているわけで、その証拠のバッジを胸に付けているのだ。しかしいくらそう思おうとしても今見た映像が頭から離れず、今までの「何とかなるだろう」と言う楽観的な考えは成りを潜めた・・・。でもこう言ういい加減な気持ちで訓練に臨めば思わぬ怪我をする。危険なのだ。出発まであと1日ある。その間に踏ん切りをつけなければいけない。まぁ僕に選択肢はないのではあるが・・・。

映画館を出るとみんな言葉少なだった。ベイカーは無表情で神様にでも祈っているのだろうか???

夜はいつもの日本人3人でビールを飲んだ。他の二人はコマンド訓練には行かないので散々僕を揶揄ってくれたのだった・・・。

 

1989年9月30日(土)

午前中は昨日同様出発の準備だった。昼前に連隊長へコマンド訓練に出発すると言う事を中隊揃って申告した。今日のみんなの顔はいつもと違って神妙だ。やる気が溢れているわけではなく、僕のように複雑な心境に違いない。何人かは諦めの表情だったし、どうなることか・・・。午後はゆっくり出来たのでベッドに横になり明日からの事を考えた・・・。

夜は酒保でワインを買って来て部屋で飲んだ。少し落ち着いて来た。そろそろ寝るかと思った時に他の部屋の奴らがワインやビールを持ってやって来てしこたま飲まされた。仕方なく付き合って飲んでいるうちに派手に酔っ払ってしまって記憶が飛んでしまった・・・。

 

1989年10月1日(日)

朝、目を覚まして茫然としてしまった。シーツが見当たらなくて毛布だけかけた状態で寝ている。昨日夕方にいつも通りちゃんとベッドは作った筈だ。と思って起き上がると、あちこちピンク色のマダラに染まったシーツが目に入ったのだ!昨夜派手に酔っ払っていわゆる「寝ゲロ」をしてしまったらしい・・・。シーツ2枚ともゲロまみれだった。不思議だったのは、あれだけきっちりベッドを作ったにも関わらず、敷く方のシーツまでピンク色に染まって床に落ちていた事だった。かける方ならば毛布と一緒に落ちると言うことはあり得ると思うのだが・・・。しかしこの頭の痛さは尋常ではなく、やっぱり僕がゲロの犯人なのだろうなどと思いながら何度もトイレに行ってもどそうと思うけれど胃液しか出ず。そのおかげと言ったらいいのかわからないけれど、コマンド訓練に行くと言う事から気がそれた・・・。

午前中は激しい頭痛の中、シーツと枕カバーの洗濯をした。

 

荷物を積み込み14時にValdahon(ヴァルダオン)という所に向けて出発した。そこで一泊する予定だ。最終目的地はスイス国境に近いLes Rousses(レ・ルッス)という所にある正規軍第23歩兵連隊だ。

 

シーツがピンク色に染まった原因はやっぱりワインで、昨日飲んだワインは「ロゼ」であった・・・

 

読んでくれた人、ありがとう

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